なぜいじめに耐え抜くことができたか!? その1 第1011号 [L 仕事]
◆リード:
すさまじいいじめ遭った職場から「転勤」という形でようやく解放された。今の職場も○市の中心校で決して楽な学校ではないのだが、学級担任からはずれており、いじめはなく以前に比べれば極楽である。ようやく体調が復調してきたところで、冷静に当時のいじめをふり返り、その過去を清算しようと思う。
平成26年4月29日(火)
なぜいじめに耐え抜くことができたか!? 第1011号
ー職場のいじめ体験記 その6ー
【1年3ヶ月にわたったいじめ】
5号にわたって書いてきた「職場のいじめ」、何度も書くが紹介したのはごくごく一部である。なにせ1年3ヶ月にわたって、毎日3回以上は何か事件が起きていたのだ。
2学期末の学校評価では、職員の何名かが学校の問題点としてあげていたくらいである。
・「ある職員がある職員を指導しているが、職員室の雰囲気を壊しているので、管理職は注意してほしい。」
・「ある職員が指導する言い方がすさまじい。相手の人格を否定するような言い方をすべきではないと思う。」
当の本人は自分のことだとわかっていたが、いっこうに改める気配はなかった。
あまりの回りからの「やめろよ!」コールというか圧力に、指導員Aさん自身がこうもらしたことがある。
Aさん「私たち指導員(←私の間違いだろ)がファーザー先生のことをいじめているように言われているの。いい加減やめなって。」
主任Bさん「誰に言われてるの。」
A「あちこちで言われてるの。ファーザー先生、みんなに言いふらしているでしょ。」
私(バカも休み休み言え、あんな大きな声で職員室で叱責したり、教室や廊下で叱責したりすれば、ボクが言わなくてもとうに知れ渡ってるよ!)
こう思ったが、黙って聞いていた。
1ヶ月後、また子どもの前で罵倒されていたとき、思わず
私「こんな大声で罵倒していれば、廊下を通る人が嫌でも聞こえて、普通の人はいじめてるって思うに決まってるじゃないか。」
(実際、いじめてるんだけど)
と言った。それがまたAさんのかんに障ってしまい、「謝れ!」と来た。
しかも、昨日主任に頼まれ、自分でもOKしたばかりの「卒業・進級を祝う会のお菓子作りの担当」の仕事をしないと言い出した。
何と自分の仕事を人質にとって、私に謝れと言うことだ。
このまま私が謝らなかったら、Aさんは主任の指示を聞かない職務放棄の罪に問われる。逆の立場だったら、Aさんはおそらく謝らなかっただろう。その方がボクを罪に問えるから。
主任は、仕事を人質に取るまったく大人げないやり方をしたAさんを注意するどころか、「Aさんがやってくれないと、祝う会が失敗する!」(先生、謝って!)と言った。
私(まったく主任が言っているのに何だ!ボクのことを主任の言うことを聞かないとふれ回っていたけど、主任の言うことを聞かないのは自分の方だろ!)
正直こう思ったが、このまま謝らないとAさんが管理職に注意・叱責されると思い、謝った。(Aさんからさんざんいじめられてきたのに、今もいじめられているのに、何でそのAさんのことを考えるのだろうか。これは私の性分か。)そして、こう言った。
「もう一度、考え直してやっていただけませんか。」
別に私がここまで言わなくても、やらなければ大変なことになるくらいAさんもわかっていたわけで、結局Aさんはお菓子作り担当の仕事をやった。
【いじめに耐え抜くことができた理由】
いい加減、いじめの話も聞き飽きてきたと思うので、どうして1年3ヶ月にわたったいじめに耐え抜くことができたのか、考えてみたい。
第一に、家族の支えである。いじめられたことを全部言っていたら切りがないので、あまりに耐えかねることについては、「今日はこんなことがあった。」と弱音というか愚痴というか怒りというかを家族に話した。家族と言っても、実母にはあまり心配させたくないし、子どもにも心配させたくなかったので、妻が中心であった。
妻は、「信じられない。」とか「指導員の分をはずれているわ。」とか「その場に行って、主任もいっしょに蹴っ飛ばしてやりたい!」とか、言っていた。普段はおとなしい妻には、ふさわしくない言動だが、私への愛情を感じることができた。
長女アキコも、心から心配してくれた。(子どもにまで心配をかけてすまない。)
ブログ記事「2013.3.3 心温まる誕生日プレゼント&手紙 第954号」で紹介したように、アキコは、「手作りプリン」(布製)に手紙を添えてプレゼントしてくれた。
手紙には、次のように書いてあった。
■アキコの手紙
誕生日おめでとう! 誕生日プレゼントは、お父さんがストレスで甘いものを食べすぎないように、そのかわりとなる「手作りプリン」をおくります。この置き物を見て少しでもストレスを解消してください♡ そして、これからもお仕事頑張ってください。アキコも勉強、頑張ります!
アキコより
私「うーん、とってもうれしいけど、この「手作りプリン」を見ると、<寝た子を起こす>というか、かえって食べたくなるかもな~。でも、アキコの(お父さんの健康を考える)気持ちがうれしい!ありがとう!」
誕生日会を終えて書斎に戻り、ゆっくりと何度もアキコの手紙を読んでみた。
アキコは、私が最近職場のストレスで甘い物を食べ過ぎていることを知っていた。<甘い物の取り過ぎは身体によくない>ということを学んで知っているアキコは、毎日のようにシュークリームやチョコレートなど甘い物を食べていた私を、心配していたのだ。
「心配してくれて正直うれしい!」
かくて翌日の今日、スターバックスでコーヒーを注文した際、ドーナツやケーキの類いは注文しなかった。アキコの「手作りプリン」に込められた気づかう気持ちを考えたとき、「甘い物は控えよう」という気持ちが自然に生じたから。
アキコの「手作りプリン」(布製)のプレゼントがなければ、きっとドーナツやケーキの類いも注文していただろう。
つまり、アキコの「手作りプリン」は、すごい威力があった! わけである。
人間やっぱり自分のことを心配してくれる人がいて、初めて自分も気をつけよう(自分を大事にしよう)と思うのかもしれない。……以上ブログ記事第954号http://kazoku.blog.so-net.ne.jp/2013-03-04より抜粋
もちろん、次女クニコも、実母も、みんな心配していた。私のことを気づかい、支えようとしてくれていた。
たとえば、妻はよく私の食べたいメニューの料理を作ってくれた。
この1年3ヶ月のもの長い間、このストレスフルな職場にあって、あたたかい家族の気づかいは本当にありがたかった。
職場のいじめに耐えることができた第一の理由は、間違いなくあたたかい家族の支えであった。「家族は、最も身近にある最強のセーフティーネット」であった。(続く)
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◆キーワード:1 いじめ 2 職場の人間関係 3 いじめに耐える
◆留意点・その他
【1年あまりにおよぶいじめ】(1006号より)
ようやくこの4月からの転勤で、いじめ抜かれた対人関係から解放された。いじめは、一昨年の1月から表面化したから、1年と3か月近くも続いていたことになる。
この日の来るのを指を折りながら待っていた。
終わりがあるからこそ、このいじめに耐え抜くことができたとも言える。
ようやく新しい職場にも慣れ始めた今、いじめぬかれた過去を清算するために、いじめのごくごく一部だけ書き記そうと思う。
読者のみなさんは、憤ることがあっても、決していじめた人が誰かを追及したり、このブログを炎上させたりしないでほしい。そのため、架空の話という設定で書いていく。
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