子どもを叱らないですむ方法 [J2 ほめる・励ます・認める]
◆リード:子どもに成功経験を持たせて、ほめて、自信を持たせる。これは、教育の要諦である。成功経験をもたせるには、どうしたらよいか。一言で言えば、「子どもを(成功)できる状態に置く」ことである。子どもをそもそもできない状態に置いておいて叱る。これは最悪の方法と言える。
2012.7.20 子どもを叱らないですむ方法 第904号
ー子どもをできる状態に置くー
近況:18日(水)には、アキコ(中2)の個別懇談があった。妻が出たのだが、夕食を食べながら、その報告を聞いた。
・アキコは、学級委員として一生懸命がんばり、みんなをまとめていること。
・野球部の活動も一生懸命で、(補欠なのに)その姿で他の部員を感化していること。
(アキコがいると、だらっとした空気がなくなり、部活動がしまるそうだ。)
・「今日はだらだらしていて4時間しか勉強できなかった。」と日誌に書いていたことがあって、勉強もとてもがんばっていること。
・けれども、がんばり過ぎが心配なこと。……以上、アキコの担任の話より。
きっとその通りなのだろう。私もがんばり過ぎは心配である。
【養護学校の先輩の教え】
さて、私の新採用は、A県立B養護学校(今なら特別支援学校)であった。B養護学校は、当時、小学部・中学部・高等部そして寄宿舎まであり、職員だけで120名を超えていた。
私は、当時22歳で小学部教員としての新採用教員。相手は知的または情緒障がいを持った子どもたち。私は、何度教えてもできるようにならない子どもたちを前にイライラしていたことがあった。思わず口走った一言。
私「何でこんなこともできないんでしょうね。」
先輩のA教員曰く。
「今のままではできないというだけだろ。障がいというハンデがあるんだから、普通の教材や普通の教え方ではだめに決まってるだろ。それを工夫して何とかするのが、教師の仕事じゃないか。」
私は、なるほどその通りだと思い、いろいろ工夫してみた。当時勤務していた養護学校は、全寮制で小学部の子どもたちは、2時半頃には寄宿舎へ行き、その後は十分に教材を作る時間があった。
【魚釣り遊びの工夫】
今でも、覚えているのが、「魚釣り遊び」の工夫である。
■むずかしい魚釣り遊びー目と手の供応動作のむずかしい子ー
子どもたちにの中には、目と手の供応動作がうまくできないで、紙で出来た魚を釣り上げることができない子が少なからずいた。魚の口の所には、針金の輪(Ω)が立って付いており、その輪に釣り針(レ)を引っかけるという仕掛けなのだが、輪(Ω)が小さくて、なかなかそこに引っかけることができないのだ。
「だからほら、そこに引っかけるんだって!」(もう!こっちまでイライラする!)
しょうがないから手で支えてあげたのだが、それでも、なかなかうまく釣ることができない。(あれ、意外とむずかしいんだ。これじゃあ、楽しい遊びじゃなくて、つまらない訓練だな。なんとか工夫しなくっちゃ。)
■改善した魚釣り遊び
目と手の供応動作がうまくできないというのは、発達障がいのためである。
子どもたちが寄宿舎に帰った放課後、私はさっそくそういう子のために、いろいろ工夫した。
まず、魚の口の所にこれまでよりもずいぶん大きな針金の輪(Ω)を取り付けてみた。さらに、釣り竿につけるひもを短くしてみた(長い方が釣りにくい)。
自分で釣ってみて、ずいぶん楽に釣れるようになったことを確認した。
そして、大きな針金の輪(Ω)の付いた魚をたくさん作った。
実際、この教材の工夫だけで、子どもは一人でずいぶん釣り上げることができるようになった。
それでも、むずかしい子もいた。そもそも魚の口の所に大きな針金の輪をつけてある釣りやすい魚を見つけることがむずかしいのだ。そこで、「あの魚をねらってごらん。」とアドバイスしたり、それでもむずかしい子はいっしょに手を添えて釣ったりした。
かくて、魚釣り遊びは、さっぱり釣ることができない子、なかなか釣ることができなくて(子どもも教師も)イライラしたり、場合によっては叱責されたり(こうやるのよ!)する遊びから、どの子も楽しめる遊びとなった。
【3年間の養護学校時代、最大の学び】
新卒以来3年間、私は、この養護学校に勤務したのだが、最大の学びは次のことであった。
◎「一人ひとりの子どもをできる状態に置くんだ。市販の教材や先生の教え方に子どもを合わせるんじゃなくて、一人ひとりに合わせて教材を手作りするんだ。教え方も工夫するんだ。一人ひとりの子どもの障がいや発達特性も好みや性格も得意なことや苦手なことも~みんな違うのだから。」
言い換えれば、「できないのは、発達特性や障がいのせいでも、その子の能力のせいでもない。できる状態に置いていないからだ。」
子どもは一人ひとり違っており、その一人ひとりの子どもをできる状態に置くということ。そして、成功経験をもたせるということ。これらの気づきこそが最大の学びであった。
子どもをできる状態にするために、あれこれ工夫した結果、子どもができる状態になれば、
①子どもは、できないイライラや叱責されることから解放されて、遊び(学習)を楽しめ、ほめられ、自信を回復していく。
②教師も、子どもができないイライラや叱責することから解放されて、楽しく遊んで(学習して)いる子どもの姿を見て喜び、ほめることで、子どもとの信頼関係もよくなっていく。
このために、教師があれこれを工夫すること、これが教材研究であり、指導法研究であり、教師の主な仕事の一つである。私は、新卒以来ずっとそう思っている。
ところが、世の中には、子どもをそもそもできない状態に置いておきながら叱るケースのなんと多いことか。(続く)
◆キーワード:1 子どもをできる状態に置く 2 子育ての原則 3 ほめる
◆留意点・その他
■このことと関連して、できるようにするための視点もいくつかある。
ここの魚釣り遊びを例にとると、できるようにする工夫の視点は、次の通りである。
①教材・教具・場の工夫
・魚の口の所に大きな針金の輪(Ω)を置いたこと
・釣り糸が短めで、釣り針が大きい釣り竿を用意したこと
・釣りやすい大きな針金の輪(Ω)の付いた魚を、釣り上げるのがむずかしい子のそばに置く。(場の工夫)
②言葉がけの工夫
・「あの、魚をねらってごらん。」とい言葉がけ
③身体的工夫
・いっしょに手を添えて釣る。
④やってみせる(お手本)
・釣り竿を使って釣ってみせる。(能力の高い子は、これだけで釣れるようになる。)
■ボーリング屋さんでも活かされた視点
この7月、四校の特別支援学級が合同で「きらきら祭り」を行った。それぞれが、お店を出して、楽しむのである。
私の学校の特別支援学級は、「ボーリング屋さん」を出したのだが、そこでは、できる状態に置くための工夫(楽しめるための工夫)として、次の工夫をしていた。
①教材・教具・場・ルールの工夫
・ピンを置く位置を決めて、マジックで10個の○をつけておいた。(お店役の子がピンを正確における。)
・両サイドに高い壁をつけて、ガターにならないようにした。
・上級者向けには長いレーン、初級者向けに短いレーンの2コース用意。(場あるいはルールの工夫)
②言葉がけの工夫
・「この真ん中のピンをねらってごらん。」~とい言葉がけ
③身体的工夫
・いっしょに手を添えて投げる。(実際にはこれが必要な子はいなかったが。)
④やってみせる(お手本)
こうしてみると、数十年たった今でも新卒以来の学びが活きている。
コメントありがとうございました。
大きい写真の貼り方の件ですがブログのテンプレートを本文の横幅が大きいものに変更するのが手っ取り早いと思います。
さらにテンプレートより大きいものにしたい場合は管理ページの中にある「デザイン」からCSSの本文幅を任意の数値に変更可能です。ただこれはある程度のCSSの知識がないと出来ないかもしれません。
簡単な説明になってしまい申し訳ありません。
by てんちん (2012-07-28 11:03)
>てんちんさんへ
こちらこそコメントありがとうございました。
わざわざこちらのブログに回答くださり、ありがとうござます。
今度写真をアップする際に、チャレンジしてみます。
by ファーザー (2012-07-29 22:36)
大きく、うなづきながら読んでしまいました。
子供というのは、学びたい、知りたい、出来る様になりたいという、
基本的な本能があって、その芽を、生かすも摘んでしまうのも、
周りにいる大人なんですよね。
非常に参考になりました。ほんとに、有り難うございます。
by qooo (2012-08-04 16:52)
>qoooさんへ
子どもは(大人も)本来(生来)知的好奇心に満ちた存在であり、学びたい、知りたい、できるようになりたいという学ぶ意欲に満ちた存在であると、私も思っています。
本来持っている学ぶ意欲・能力を引き出すのが教育であり、英語で「教育」を意味する「education」も、本来そういう意味ですね。
私は、叱ることは教えるという行為の一形態であり、必要な行為だと肯定しています。ただ、叱る行為が教育として成立するには、相手との間に一定の信頼関係が必要です。また、現代の子どもは、叱られるのに余り慣れておらず、必要以上に落ちこんだり、反発したりするケースも多々あります。だから、まずほめて子どもとの信頼関係をつくる必要があるのです。それには、子どもをできる状態に置くことがポイントですね。信頼関係ができてくれば、叱ることも比較的安心してできるのです。
by ファーザー (2012-08-07 06:58)