不幸は真の友! [O2 ミニブログ『心にしみた言葉』]
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2006.1.13「不幸は真の友!」 144号ー週刊「心にしみた言葉」第7号改訂版ー
人が求めてやまない幸福は、彼を慢心させ、不幸を招く。人が嫌ってやまない不幸は、逆に内省を促し、彼を成長させる。
こうして結局、人には幸・不幸の両方が必要だということが分かる。だからこそだれにも、幸・不幸の両方がやってくる。 幸福がやってきたら感謝してこれを静かに楽しみ、不幸が来たら、また感謝して静かにこれを忍ぶ。そうして、その両方から何かを学び、成長する。これはインドに住む聖者サイババの言葉です。(『真実のサイババ』三五館より)私は、10年ほど前インドを訪ねて、実際にサイババの御足に触れたことがあるのです。(詳細は別の機会に)私は、この言葉は真実だと思っています。
自分の人生をふり返ってみても、試練というような艱難に遭うことで大きく成長したように思うのです。
40代の私ですが、二度と繰り返したくないような試練が片手ほどあります。どの場合も、大きな教訓を私に残し、かつ自分を成長させてくれたと思います。
いくら真摯に努力してもどうしようもないときがあったし、自分の器の小ささを思い知らされたときもあったし、自分の能力のなさに自分がみじめに思えいたたまれないことが続いたときもありました。
でも、つらい思いを経験したことで、同じようにつらい経験をしている人に自然と優しくなれたー自分がつらかったとき、優しく声をかけてくれたり支えてくれたりした人がいたのでーし、自分のいたらなさに気付くこともできました。つまり、つらい経験から多くのことを学び、成長できたと思うのです。
そのことの具体例を一例だけ挙げれば、以前のブログ記事「悩み抜いた高校1時代~「ドラマチック」バトンリレー①〜」にも書いたものです。
また、以前聞いた親業の講演会で、中学生でいじめられていた子がその母に向かって「、『あのいじめがあって、今の私がある! 自分は傲慢だった。』」としみじみと言っていたといいます。
悲しいことに、人間は孤立したり人と対立したり別れたり惨めな状況に置かれて初めて真剣に考えるのかもしれません。
一見不幸と思われる出来事ー惨めさと悲しみーが、内省を促し精神的にその人を成長させるとするならば、惨めさや悲しみは「真の友」と言えるのかもしれません。
惨めさや悲しみも、人の成長を促す人生を構成する大切な要素であって、避けられなものである以上、それを感謝して受けようと思うのです。
惨めさや悲しみの経験があって、人の成長があり、その後の新しい展開や飛躍があるのですから。
だから、私は、このサイババの言葉
「幸福がやってきたら感謝してこれを静かに楽しみ、不幸が来たら、また感謝して静かにこれを忍ぶ。そうして、その両方から何かを学び、成長する。」
が好きです。
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2006.1.14 284nice!149-375/37684
たしかにね~。この言葉、的を得ているとおもいますよ。
だけど、これが出来たらおじさんも聖人になれるのにな~。(アホな!笑)
by 武田のおじさん (2006-01-15 00:16)
>武田のおじさんへ
確かに惨めさや悲しみを進んで引き受けようとは、なかなかできないですね。
できるなら避けたいと思うのが人間なのかもしれません。
「良薬は口に苦し」という言葉でたとえますと、苦さばかりに焦点を当てずに、その薬としての効能ー成長ーや、全快後の飛躍にも焦点を当ててみるならば、むしろよいチャンスだということ。だとすれば、苦いかもしれないけれど、感謝して受けようということだと思うのです。
だた、できるだけ惨めさや悲しみを経験しないようー苦い薬が必要にならないようにー精進していきたいですね。
by 泉河潤一 (2006-01-15 10:01)
あとから考えると、「もうやだ!」と思ったときが1番成長してる気がします。
嫌だけど。でも、それが分かっただけでも、少し大人になったのかな。
どんなところからも学べるんだなあと、最近思ってるところです。
by miyu (2006-01-15 13:28)