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泉河潤一の大学院時代、現在 ープロフィール➄ー [K6 ファーザー・妻]

2018.6.10 第1138号

泉河潤一の教員時代
ープロフィール その5ー


 泉河潤一は「日本の家族の再生」に後半生を捧げようと決意しています。

 なぜそのような大それた志をもつにいたったのか!?

 次の4つの時代を読むとわかります。(前号より)

 その「大学院時代、現在」について紹介します。

4つの時代の「4.大学院時代、現在」

 

◆4.大学院時代、現在

 

~ 子育て、家庭教育へ ~

 40歳を目前にした私は、2年間、現職教員のまま大学院に派遣されました。そこでは、ソーシャルスキルトレーニングを取り入れた道徳教育プログラムを研究しました。 

 当時2歳になったばかりの長女もいっしょに、大学構内にあった世帯寮で生活しました。現場にいる時とは違ってゆとりがあり、この期間は徹底して子育て本を読んだり子育てセミナーに出たりして、生まれて2歳の長女の子育てに生かしました。初めて父親となった私は、真摯に自分自身の子育てにとりくんだのです。

 すべてが順調でした。 

 ところが、再び現場の教員として復帰した小学校では、荒れたクラスの担任という試練が待ち受けていました。大学院での2年間のブランクは大きく、やんちゃな子どもたちの反発や抵抗にあい、その保護者からも反発され大いに悩みました。一時は退職も考えました。そして、約2ヶ月の休養(夏休みも入れれば3ヶ月)を余儀なくされたのです。

 荒れていた子どもたちの背景には、家庭の荒れが共通していました。この荒れた子どもたちとの出会いが、私に家庭教育の大切さー家庭教育こそ「子育ての要である」ーを教えてくれました。(詳しくは拙著の「おわりにⅡ」をご確認ください。

なんとかその試練をくぐり抜け3年後に転勤する際には、管理職の道か、このまま学級担任の道を歩むか迷いました。その時、大学時代にサークルで勉強した障害児教育のことが思い出されました。

「特別支援(障害児)教育に教師としての後半生を捧げよう!」

私は障害をもった子どもたちとかかわる道を選び、その後、9年間特別支援学級担任として生きることになりました。

 今思うに、ここで管理職の道を選んでいたら、ブログ「あったかい家族日記」も、子育て本の出版もなかったでしょう。 

 5年ぶりに自宅にもどった私は、自分自身の子育てを発信するブログ「あったかい家族日記」を書き始めました。ちょうど長女が小学校1年生になった年でした。

 

 「家庭教育こそ子育ての要である」という信条の私は、仕事にかまけて自分自身の子育てをおざなりにしてはならないと決意していました。その決意を込めて、その後13年間、長女が大学2年生になった今も書き続け、ブログ記事は1.100号を超えています。

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