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実母、祝退院、その後 第1088号 その5 ー退院&「父の日」祝いー [K7 実父母]

◆リード:昨年6月7日にあーちゃん(実母)が自損事故を起こした。エアバッグも作動し、救急車で運ばれて、10日間の入院となった。結果、あーちゃんにとって、車は手足のようなものだったが、運転をやめた。その顛末記その5.。日記編。

2017年6月末

 実母、祝退院、その後 第1088号 その5 6/19~
ー退院&「父の日」祝いー

 昨年6月7日にあーちゃん(実母)が自損事故を起こした。エアバッグも作動し、救急車で運ばれて、10日間の入院となった。
 前号では、入院後の6月14日(水)から6月17日(土)退院までの日記を公開した。
 
 今号は、退院後の記録を紹介する。

 以下は、日記からの抜粋である。(私は、ipadで音声入力日記をほぼ毎日書いている。)

■退院翌日6月18日(日)◉嫁と姑が一緒に買い物に行った日
○午前 10時半ごろ、あーちゃんの呼びかけてお茶にした。クニコも呼んだのだが、部屋の整理が区切りがつかないとのことでずっと整理をしていた。おかげで3人でお茶をした。
・たわいのない会話、普段の生活がいかに素晴らしいものであるか、あーちゃんは実感ししていたようだ。
・今日の1日の予定を確認した。午前中にK眼鏡店に行き、新しいメガネをあーちゃんも妻も作る予定だった。でも直前になって、もう少し体調を見てということになった。というのは、落ち着くと視力も変わってくるかもしれないからだ。
○午前中花の水やりや部屋の掃除などをしていたあーちゃんだが、やっぱり昨日今日の物忘れが激しい。午後2時か3時にタカちゃんのお母さんも一緒に買い物に行く予定なのだが、早速確認していた。それ以外にも何かと確認していた。
○私はお昼に近くのビストロと言うレストランに行った。野菜サラダがおいしかったからだ。たくさんサラダを食べ、メインディッシュのピザは8分の3持ち帰った。
○あーちゃんは、その間、タカちゃんにそばを作ってもらったようだ。
○予定より少し早い1時45分におばあちゃんとあーちゃんとたかちゃんは、3人で買い物に行った。3時半ごろ帰宅した。買い物袋が4つ、たくさん買い物してきた。あーちゃんは買うペースが速く、たかちゃんのお母さんがゆっくりなので、あーちゃんは我慢するのが大変じゃないかと言っていた。
 後で聞いてみたら全然問題ないとの事だった。むしろいつものペースと違うことになったおばあちゃんの方が勝手が違って大変だったようだ。あーちゃんは短い時間でも良さそうなので、普段の日に一緒に行くことにして、土日は今まで通り自分のお母さんと買い物をした方が良いと言うようなことを、タカちゃんが言っていた。
○味噌汁を夕方あーちゃんが作っていた。包丁を使ってイモを切っていた姿を見て、包丁や火を使う際、誰かが一緒についている事とお医者さんが言っていたことを思い出した。そのことをタカちゃんに言うと、いいんじゃないと言っていた。結局1人で作った。
◉父の日のプレゼントとして、夕方、クニコ(中学3年)が夕食を作り始めた。焼肉、キャベツの千切り、もやしと青紫蘇のサラダ、そして、のり巻き巻きでシズコや納豆の巻物を作ってくれた。とてもおいしかった。
○あーちゃんの退院と「父の日」と、クニコの誕生日(正確には明日がクニコの誕生日)を祝って、夕食後30分してからケーキでお祝いをした。そして、乾杯した。
○それから、アキコ(大学1年生、東京)からは、着日指定で父の日のプレゼントが届いた。「いつも家族のことを1番に考えてくれてありがとう」と書いてあった。嬉しかった。
 あーちゃんの交通自損事故で入院10日間という大変な6月となったが、こうして退院お祝い・父の日祝い・クニコの誕生日祝いができて本当に良かった。
 家族そろって普段の生活ができることは、それだけで本当に幸せなことだと思う。
2017.10あーちゃんの82歳の誕生日.jpg
2017.10あーちゃん82歳の誕生日祝い
 そして、認知力が低下しないように、毎日通院して、話しかけて良かった。おかげで、認知力の低下はなかった。
◆キーワード:1実父母   2 実母の入院・退院  3 父の日
◆留意点・その他:
・車がダメになった機会に車をやめると言ってやめたあーちゃんだが、その後も、ことあるごとにやっぱり乗る!と言って自動車屋さんに行った。そして、車を買おうとして、家族を困らせた。2018年1月8日現在、乗ってはいないが。この交通自損事故がなければ、絶対にやめることはできなかったと思う。エアバッグが作動し、車1台ダメにする自損事故でも、骨折することも車いすの生活になることも、幸いにしてなかった。想定した中で最高の経過であった。これに感謝して、「もう車に乗ってはいけない!」という神様からの警告ととらえて、決して車に乗ることは許さない。ただし、土・日は気持ちよく友達の所など乗せていくし、それ以外も、タクシーを使うなど強く勧めている。(タクシーはあまり使えずにいるが。)
・その後、7月、8月とMRIを撮って経過観察をした。結果は良好だった。
・だが、首が痛いと言いだし、8月下旬から9月、10月まで整骨院へ通わせた。妻と私が交代で送り届けた。前半は週2回、後半は週1回であった。10月いっぱいで、ようやく整骨院に通うのをやめた。
・ 退院の翌々日の朝、3時半に起きると、下でバタバタ音がした。あーちゃんが起きていたのだ。眠れないのか、何か味噌汁を飲んでいた。この辺りも心配だ。何とか家族の愛情で包んで、この2年間を乗り切り、あと5年間はあーちゃんが健康寿命を楽しめるようにしたい。
・親友Tの、介護士であるおくさんの話によると、事故のあとに認知症が一気に進むケースが多いという。だからこそ12時から6時半までとか1時半から7時までとか1日6時間ずっと話しかけていたのだと、親友のTさんに電話で言った。
・午前中にあーちゃんの親友の山形の中野さんから電話が来た。心配で仕方がなかったが、迷惑になるといけないと思ってかけるのをためらっていたそうだ。頭もしっかりしていて安心したと言っていた。お見舞いのお金を渡したいのだが、あーちゃんは絶対受け取らないのでと言っていた。私は、電話をかけていろいろ話してくれることが、何よりのお見舞いになると言った。

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