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実母、交通自損事故で入院生活 第1086号 その3 [K7 実父母]

◆リード:昨年6月7日にあーちゃん(実母)が自損事故を起こした。エアバッグも作動し、救急車で運ばれて、10日間の入院となった。結果、あーちゃんにとって、車は手足のようなものだったが、運転をやめた。その顛末記その3.。日記編。


2017年6月13


実母、交通自損事故で入院生活 第1086号 その3 6/11~6/13
ー昔のあーちゃんの話のインタビュー、退院の日程、車の運転をやめる決断ー

 昨年6月7日にあーちゃん(実母)が自損事故を起こした。エアバッグも作動し、救急車で運ばれて、10日間の入院となった。
 前号では、入院後、3日間の日記を公開した。
 
 今号は、6月11日(日)から6月13日(火)までの記録を紹介する。

 以下は、日記からの抜粋である。(私は、ipadで音声入力日記をほぼ毎日書いている。)

■6月11日(日)
 6月11日日曜日、私は久しぶりにぐっすり寝れた。
▼8時から8時15分「臨時家族会議」妻とクニコと私で
 母をあたたかく迎えるべく、どう対応したら良いか。
○例「クニコ」われ関せず、消極的な対応はダメ
・挨拶をしっかりする
・気遣いの言葉をかける…
 
▼10時から11時半、近所に住む「本家」に妻と私は相談に行く
 数年前に母を亡くしそれまで自宅介護を続けていたので、自分たちの体験からのアドバイスをたくさんくれた。
 嫁の生活を優先して母を施設に送ったという体験も伺ったが、これはやりたくない!と思った。なぜなら、それは「親にとって知らない外国に1人で送り出されるようなもの」だと思ったから。
▼午後2時10分から6時45分 私が病院に行って母と話す。
・母の昔のことについて、4時から5時半だでじっっくりとインタビューしていろいろと話を聞いた。
・退院後の生活についても話し合い始めた。
▼午後6時から7時半頃まで、妻とクニコはお見舞いに来た。
▼夕食は自宅に戻ってから、8時から私・妻・クニコ3人揃って食べた。

■6月12日(月)午後2時から年休をもらってお見舞いに行き、夕食まで一緒にいた
 今これまでを振り返ってみると、最初の頃は繰り返しの質問が多かった。今自分はなぜここにいるのかがわからず、不安でしょうがなかったのだと思う。丁寧に気持ちを受け止め、丁寧に質問することで、翌日の午後には看護師さんをしてずいぶん落ち着いたわねと言われたのだと思う。
 すぐに正念場と捉えてお見舞いをして絶対によかった。認知症の進行を最小限にとどめることができた。いや逆によくしたのかもしれない。やっぱり対応なんだ。
 今日もまた転んで入院したのかと言う質問があったので、電柱にぶつかって入院したことを写真を見せて話したら納得した。こうして一つ一つ足場を固めてやると、安心するんだ。ちゃんと昔と今をつなげてあげることそれが大事だと思った。
 リハビリ、車の運転をどうするか、帰ってから何をするかなどの話し合いをした。
 あと、母の昔のことについてインタビューして、いろいろと話を聞いた。
▼母の昔のことインタビュー(一コマ)
○自分から東京の編物学院時代の話をした。6千円の仕送りがあった。3千円は食費で3千円はお小遣い。でも材料費も払う必要があったから、何にも余裕がなかった。ファッションショーを見た。これは仕事。世田谷区に住んでいたんだけど、N県K市と同じような感じだったそうだ。
○戦争未亡人で30歳の富山の中川さんは、小学校1年生の子供を置いてきていた。帰ったら教えるので必死に学んでいた。お母さんはその人を教えていた。ショールを作るとき難しいのははじめと終わりだけ。そこを教えてあげて、そのかわり簡単な途中をやってもらっていた。花嫁修行の人も半分いたそうだ。

■6月13日(火)主治医から退院の日取り、自動車の運転の話他
 5時から主治医がお話があると言うので、1時間看護休暇を取り、妻は年休を1時間取った。
1、4時半ごろつくと、本家の嫁であるTさんがほぼ同じ時間に病室へ来た。
・病室にないのでリハビリテーション室かとあちこち探したけれど、MRIを受けていた。
・Tさんは車に乗らないように説得していた。結論としてあーちゃん(実母)は了解した。その事故のことを全く覚えていないこと。事故の前のことも覚えていないこと。そんな状態ではまた事故起こして人に迷惑をかけたら大変なことを理解したからだ。
・Tさんはこれが昼間で人がいたら大変な事故になっていること。忘れているという事は、とても危ないと言うこと。幸い人身事故になっていなかったのはものすごい幸運であること。そう話したのである。
2、5時20分ごろ、妻が来て私と母の3人で医者の話を聞いた。
・撮ったばかりのMRIの画像を見ながら医者は説明してくれた。脳の萎縮が見られること。硬膜下水腫があること。1ヵ月2ヶ月して硬膜下血腫になることもあり、慢性硬膜下血腫になる場合もあること。もちろん自然に治ることもあること。今後も定期的に検査を受ける必要がある。結論として、いつ退院しても良いことをお話ししてくれた。
 私が「先生のおかげで。」と言うと、「いや軽症だったと言うことです。」と話してくれた。 その後、車の運転のことに話が移り、母は運転を止めると言った。そしたら医者も、「その方が私も安心です。」と言った。
 明日にでも退院できると言うことだが、退院の準備もあり、歩行の許可が今日出たばかりなので、歩行のリハビリの必要もある。そういうわけで、結局土曜日に退院することを決めた。

 7時半ごろ病院を後にした。8時に自宅に着くと、クニコが夕食を準備してくれていた。いいことだ。「娘2人のうち1人は、親元に残ってくれるといいな。」と思わず言った。クニコはまんざらでもない様子だった。(続く)
◆キーワード:1実父母   2 実母の交通事故  3 親孝行
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