実母、交通自損事故で入院 第1085号 その2 [K7 実父母]
◆リード:昨年6月7日にあーちゃん(実母)が自損事故を起こした。エアバッグも作動し、救急車で運ばれて、10日間の入院となった。結果、あーちゃんにとって、車は手足のようなものだったが、運転をやめた。その顛末記その2.。日記編。
2017年6月8日
実母、交通自損事故で入院 第1085号 その2
昨年6月7日にあーちゃん(実母)が自損事故を起こした。エアバッグも作動し、救急車で運ばれて、10日間の入院となった。
前号では、交通自損事故の当日の様子を書いた。
今号は、翌6月8日(木)から6月10日(土)までの記録を紹介する。
前号では、交通自損事故の当日の様子を書いた。
今号は、翌6月8日(木)から6月10日(土)までの記録を紹介する。
以下は、日記からの転載である。(私は、ipadで音声入力日記をほぼ毎日書いている。)
■翌6月8日(木)
午後から年休を取った。午後1時には、S病院に着いた。
あーちゃんは、なぜ自分がここにいるのかよく分からないでいたようだった。自分で車を運転してこの病院に来たような感じだった。そうじゃないよ、A駅前の電信柱に衝突して救急車で運ばれてきたんだよ、10回位以上もやりとりがあった。
朝起きた時は、きっと不安であったに違いない。どうしてここにいるのかよくわからなかったわけだから。看護師さんもやっと落ち着いたと言っていた。
午後から年休を取った。午後1時には、S病院に着いた。
あーちゃんは、なぜ自分がここにいるのかよく分からないでいたようだった。自分で車を運転してこの病院に来たような感じだった。そうじゃないよ、A駅前の電信柱に衝突して救急車で運ばれてきたんだよ、10回位以上もやりとりがあった。
朝起きた時は、きっと不安であったに違いない。どうしてここにいるのかよくわからなかったわけだから。看護師さんもやっと落ち着いたと言っていた。
1時過ぎにお医者さんと話したが、「外傷性くも膜下出血」と言うことだった。若い人だと1、2週間だけど、1ヶ月ぐらいかかるかもしれないと言うような話だった。当面は安静が第一だ。
妻は5時過ぎに帰り、私は6時半ごろ帰った。6時から夕食だったから、私がそばにいてよかった。2人で1室だったのだが、隣の患者さんも、夕食近くなったら家族の人がどんどんきた。娘も含めていや孫も含めて4名来た。私がいてよかった。背中をさすってあげた。痛いと言っていたから。ずっと寝ているのは退屈と言っていた。
看護師さんはしょっちゅう来て話かけるわけじゃないから、話しかける人がいないと、ボケが進む気がした。
お医者さんの話だと、退院後、車を運転したいなら審査が必要だと言った。今その審査も厳しくなっているとの事だった。私の感触では厳しい気がした。そうなると、これまで以上に妻の役割が大事になる。車が運転できない分、一緒に料理を作るとか避けてないで話しかけるとか絶対に必要だと思った。書道も僕は生徒になればいいと思った。
看護師さんはしょっちゅう来て話かけるわけじゃないから、話しかける人がいないと、ボケが進む気がした。
お医者さんの話だと、退院後、車を運転したいなら審査が必要だと言った。今その審査も厳しくなっているとの事だった。私の感触では厳しい気がした。そうなると、これまで以上に妻の役割が大事になる。車が運転できない分、一緒に料理を作るとか避けてないで話しかけるとか絶対に必要だと思った。書道も僕は生徒になればいいと思った。
これまで母1人で県都の病院まで車で運転して(1時間ほど)、薬をとっていたのはやっぱり無理をしていたんだなと思った。書道で和ちゃんを教えることも限界だったんだと思った。僕が生徒になればいいし、家族でお話しすればいい。そんな時期に来たんだと思った。
ここは何としても、いっしょの会話がきちんできること。そして身辺自立がきちっとできる事は逃さないように、病院に毎日通って話しかけよう。そして、あーちゃんが安全にトイレに行けるようにしよう。
車の運転はもう厳しいらしいが、いつかは車は運転できなくなる。それでも、あたたかい家族がいれば大丈夫。そんなふうにしていこう。
車の運転はもう厳しいらしいが、いつかは車は運転できなくなる。それでも、あたたかい家族がいれば大丈夫。そんなふうにしていこう。
■6月9日(金)
午後3時10分から介護休暇をとった。4時前にはS病院に着いた。
早速痛いと言っている背中を擦ったり、持ってきた化粧箱を見せたりした。くしは細すぎてだめで、もう一つの白いくしを持ってくることになった。
途中、あーちゃんがみかんをほしいと言うので、妻のたかちゃんにメールした。やっぱり来る途中で買うのは面倒だと思ったので、僕の方でローソンに行ってカットしたフルーツを買ってきた。あーちゃんと食べた。あーちゃんは喜んで食べていた。「よく3割引であーちゃんが買ってくれたカットフルーツを、クニコが喜んで食べてくれていたよね。」と話した。あーちゃんは、「そうだの。」と言って言ってうれしそうだった。
トイレへは車椅子で移動だった。今度、「習字を僕に教えてくれ。」と言ったら、あーちゃんは「いいよ。」と言った。何度も、「いつ退院できるの。」と言っていた。僕は、「ちょっとわからない。脳内出血があるから、難しい。まだ安静にしていないといけないよ。」と言っておいた。実際に、翌日の午後1時の医者の話では、「外傷性くも膜下出血」とのことだった。
看護師さんは、特に48時間が大切と言っていた。
「お金がないと電話かけられないから、バック持ってきて。」とか「買い物したい。」とか「携帯電話持ってきて。」とか、あーちゃんは言っていた。その度に「ちょっと許可がないから。」というようなことを言って取り合わないでいた。
看護師さんは、特に48時間が大切と言っていた。
「お金がないと電話かけられないから、バック持ってきて。」とか「買い物したい。」とか「携帯電話持ってきて。」とか、あーちゃんは言っていた。その度に「ちょっと許可がないから。」というようなことを言って取り合わないでいた。
途中、腕のリハビリ担当の人が来て、あーちゃんにいろいろな動きをやらせていた。月曜日から本格的にリハビリを始めるので、そのための実態調査だ。あーちゃんが言われた動きを全部できたので驚いていた。家での食事は、朝と昼は自分で作っていたことや、夕食も味噌汁作りが担当で、それはいつも作っていたことを話した。あと習字を教えていることも。
夕方近くになって、今度は足のリハビリ担当の人がいろいろと実態調査をした。これも全部できたので驚いていた。
月曜日に初めて入浴すると言う。あーちゃんの日記のありかを聞き、今度一緒に日記を書くことにした。
山形へ旅行にいっしょに行った幼なじみのHさんが、あーちゃんのことを心配して電話をかけてきた。本当のことを言うべきかどうか本人に聞いたら、東京に遊びに行っていることにしていてくれと言っていた。
私は、夕方6時45分までいた。つまり夕食も一緒に食べた。6時半ごろ妻が来た。妻にはその後を頼んで、私は帰宅した。妻が遅くなったのはクニコのエレクトーンを送ったからだ。
私が帰宅すると、クニコは夕食を作ってくれていた。サラダと味噌汁と(なめこの)、スクランブルエックだった。
夜8時40分からの毛染めに行った。ここで介護士でもある中野さんの話を聞いた。今が正念場であると言われた。それは、僕も全く同じ認識だ。
・1週間も寝ていたら、健康な人も歩けなくなること。
・医者の言うことを100%聞いてやるとかえって間違えることもあること。
・(介護する側は)寝たきりにして、おむつにするのがかえって楽なこと。
・歩かせて転ばれたら責任を取らされると思っていること。
だから僕家族が支えて歩かせると良いこと。そのために支え方も教えてもらった。
・医者の言うことを100%聞いてやるとかえって間違えることもあること。
・(介護する側は)寝たきりにして、おむつにするのがかえって楽なこと。
・歩かせて転ばれたら責任を取らされると思っていること。
だから僕家族が支えて歩かせると良いこと。そのために支え方も教えてもらった。
僕は危機感を持って対応を見直してみた。
携帯電話を持たせた方が友達と繋がれるじゃないか、トイレは一緒に行ったほうがいいじゃないか、立たせて体を拭いてあげたほうがいいじゃないか、お友達が大変だからと東京行ってるて言わないで、入院してると言って訪ねて来てもらったほうがいいじゃないか。アキコにもメールを打って、ちゃんと励ましのメールを送ってくれるように話した。
携帯電話を持たせた方が友達と繋がれるじゃないか、トイレは一緒に行ったほうがいいじゃないか、立たせて体を拭いてあげたほうがいいじゃないか、お友達が大変だからと東京行ってるて言わないで、入院してると言って訪ねて来てもらったほうがいいじゃないか。アキコにもメールを打って、ちゃんと励ましのメールを送ってくれるように話した。
■6月10日(土)
6月10日(土)深夜の1時45分に起きた眠れない。
前日のヘアトリートメントで、中野さんから1週間寝ていると健康な人でも歩けなくなる。今が正念場と言われた。そこで、眠れないのだから今後の方針について考えメモしてみた。
□メモ「今後の方針」など
・自家用車は失っても、それに代わって、妻や次女、私、東京で大学生活を始めた長女…
・友人(本田さん、多田さん、本家…)たちが支えてくれて、人間的なあたたかさを十分に感じて生きている。逆によくなる。
・自家用車は失っても、それに代わって、妻や次女、私、東京で大学生活を始めた長女…
・友人(本田さん、多田さん、本家…)たちが支えてくれて、人間的なあたたかさを十分に感じて生きている。逆によくなる。
1自分で自分のことがわかりできる。
・身辺自立 ・化粧 ・食事 ・立たせて背中をあったかいタオルで拭く
・身辺自立 ・化粧 ・食事 ・立たせて背中をあったかいタオルで拭く
2料理や教えることで、貢献と誇り持てる
、母と妻が一緒に料理
・母が私とクニコに書道を教える
、母と妻が一緒に料理
・母が私とクニコに書道を教える
3友人と楽しく会話ができる
・友人を呼ぶ、入院を知らせることがリハビリになる
・携帯を持ってくる、長女アキコと触れ合うこと、メールの仕方を教える
・自宅を開放して集いの日を設定する
・友人を呼ぶ、入院を知らせることがリハビリになる
・携帯を持ってくる、長女アキコと触れ合うこと、メールの仕方を教える
・自宅を開放して集いの日を設定する
4 自己管理ができる(安心)
・一緒に日記を書く
・カレンダーを使う小さいのをもっていく
◉母さんを接待再びキッチンに妻と起たせる
・一緒に日記を書く
・カレンダーを使う小さいのをもっていく
◉母さんを接待再びキッチンに妻と起たせる
5通院に変える
6リソースを生かす…友、習字、料理、生花、ピアノ
7カバンを持っていく、化粧台を持っていく、くし
○妻が仕事を辞めることの考える。
○大津たまみさんのいう「生前整理」をする
◉今できる事はやらせる! 少し抵抗がある事はサポートしてやらせる!
eこまごまとしたやるべきこと
椅子を買う、プラスチックのカップ、
くし、洗面器柔らかいタオルを持ってくる、アルバムを作る
メモ用紙、筆記用具、セロテープ箸を持っていく
バンギク、はさみ、食器
椅子を買う、プラスチックのカップ、
くし、洗面器柔らかいタオルを持ってくる、アルバムを作る
メモ用紙、筆記用具、セロテープ箸を持っていく
バンギク、はさみ、食器
・病院のパンフレットにある「患者の安心、安楽」って誰にとっての安心安楽なんだ。
(中野さんの影響でかなり病院に不信感があるかも。)
(中野さんの影響でかなり病院に不信感があるかも。)
午前1時45分から午前9時まで一睡もできず。
○本田さんから電話で、正直に事故で入院したことを話す。本田さんは打ち明けてくれてかえって喜んでいた。すごく心配していたから。午後にお見舞いに行くと話してくれた。磯貝さんにも本当のことを話した。ただし磯貝さんの場合は入院しているとだけ話した。
○本家に電話しても、通じないので、改めて翌日電話することにした。
◉ 6月10日土曜日午後1時半から3時半に本田さんが来る。お土産にクッキーをくれた。
○僕は12時から行った。
(母は転んだんだろうと10回以上言った。昨夜は家で風呂に入った。とも言った。入院4日目だから違うよ。といった。アキコは将来何なるんだろうね。市役所か県庁に勤めるかねなどと言っていた。
母が歩けなくなるのが怖かったので、ベッドの周りを母と手をつないで歩いたりした。
○本田さんは楽しそうに話してくれた。山形への旅行は最高に楽しかったのだそうだ。帰りは私が車で、HS駅まで送った。
その後仏壇の話が出た。
○夕方には妻もきた。あーちゃん(実母)が夕ご飯を食べた後、6時半過ぎまでいて私は帰ってきた。
……以上、公開する予定のなかった日記をほとんどそのままアップした。子どもたちへ記録として残すためである。
◆キーワード:1実父母 2 実母の交通事故 3 親孝行
◆留意点・その他:
2018-01-08 09:59
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0