家族みんなで実母の誕生日を祝う 第928号ー「長生きしようかの。」とつぶやいた母ー [K4 嫁と姑]
◆リード:21日(日)は、実母の誕生日祝いをした。夜8時半過ぎ、家族みんながそろったところでお祝いした。実母はとても喜び、「長生きしようかの。」とつぶやいた。
2012.10.21 家族みんなで実母の誕生日を祝う 第928号
ー「長生きしようかの。」とつぶやいた母ー
近況:
22日(月)は、勤務校の展覧会の振替休日。1階のトイレに近い和室を空けるために、整理整頓をしていた。
10時頃、実母からお茶に誘われたので、1階でいっしょにお茶をした。
実母「Mさんが、骨折で入院したって。」
Mさんとは、私のいとこで、6歳年上である。私が小学生の頃、Mさんから釣りに連れて行ってもらったことを思い出した。
私「そうなんだ。大変だね。」
Mさんは、実母の姉の長男なのだが、もう20年も実家に帰っていないという。
…(Mさんのことなど、いろいろと話す)…
実母「私は幸せだ。孫のアキコ、クニコがそばにいて、声をかけてくれる。タカちゃんは余りしゃべらないけど、タカ(嫁)ちゃんもおまえも、大切にしてくれる。」
私「今までお母さんに大切に育ててもらったから、今度はボクがお母さんを大切にする番だと思ってる。」
その後、外でお昼にラーメンをいっしょに食べた。そのまま、近くのK公園を歩いて帰ってきた。
優しい母は、その後、Mさんのお見舞いに行っていた。
21日(日)は、実母の誕生日。
日中、実母とアキコ(中2)は、県都へ買い物や外食に行った。
一方、妻とクニコ(小4)は、幼稚園時代のメンバー主催のボーリング大会に参加した。これは、1ヶ月以上前から、決まっていたことである。
私はと言えば、勤務校の展覧会で終日勤務し、夕方6時から8時までは懇親会であった。
アキコは、部活動で忙しく10月はこの日が唯一の空きであった。
アキコ(お父さんは懇親会だし、お母さんとクニコはボーリング大会だし)「どうしたらいい。」
私「お父さんは、展覧会でダメだから、アキコがあーちゃんといっしょに楽しく過ごしたらいい。いつまでも、あーちゃんは元気ではないから。」
と答えておいた。
妻とクニコは、幼稚園時代のメンバーとボーリング大会。結局、アキコと実母二人でのおでかけとなったわけである。
アキコと実母は、買い物をしたり、バイキングでお腹いっぱいおいしいものを食べたりしていた。余りに食べて、終わりに出てきたアップルパイが食べられなかったというから、相当食べたはずだ。ただ、隣の席の人は、それ以上だったというから、上には上がいるらしい。アキコは、実母から本も買ってもらったと言っていた。楽しいデートだったらしい。
【実母の誕生日会】
私は、ほぼ予定通り、8時半頃帰宅。さっそくケーキでお祝いをした。
ハッピィバースデーの歌を歌い、ケーキを食べた。
その後、それぞれプレゼントを渡した。
■私と妻からは、毛生え薬の蘭夢、アキコ、クニコのA4版の写真。そして手紙。手紙に
は、次のように書いた。
<77歳の誕生日おめでとうございます。
これからは、家族みんなで仲よく元気で過ごしましょう。>
■アキコからは、手作り人形と手紙
■クニコからは、手作りしおりと手紙
プレゼントを受け取り、うれしそうに手紙を読むあーちゃん。
その後、ふとつぶやいた一言が忘れられない。
実母「長生きしようかの。」
私「伯母は、88歳だったよ。 あーちゃんは、それまで11年もあるよ。それまで長生きできたら、アキコは25歳だから、結婚しているかも知れないよ。」
実母「そうだの。」
【いっしょに1階で食べるようにしてよかった!】
5月からウイークデーの夕食もいっしょに食べるように変更し、10月1日からは、朝食も1階で食べている。2階のテレビも1階に移動した。つまり、922号で書いたように、6年余り続いた<棲み分けから本当の「同居」へ>大きく変更したのだ。
実母の希望通りの変更である。そこに至るまでに、対立や葛藤もあったが、私が<全面的に実母の希望を受け入れる>という最終的な判断して、このような形となった。当然その判断の背景には、実母を大切にしたいという私の思いがあった。(実は前回の棲み分けも、もともとは実母を大切にしたいという思いからであった。)
夕食後、すぐに2階に行くこともなく、間を置いて、梨や柿、ケーキなどおいしいものもいっしょに食べている。自然とあーちゃんと家族全員との会話は大幅に増えている。
実母の様子が分かり、私も安心だ。なんと言っても、実母の笑顔も増えた。
いっしょに1階で食べてよかった。
妻「朝食も1階!」(私もそれを受けて、朝食もいっしょなんて無理と実母に告げていた。)
と当初反対していた妻であったが、こちらが全面的に折れてよかった。
あったかい雰囲気の中で、実母を大切にしていこうと思う。最期のときまで。
ここまで書いてきて、わが家の家族憲法を思い出した。わが家は、家族憲法を創って、それに基づいて家族経営をしている。
<一 めざす家族>では、次のように書いてある。
「助け合いと対話を大切にして、一人一人と心のつながり(信じ合える関係)のある あったかい家族」(これがそもそもブログタイトル「あったかい家族日記」の由来である。)
これを、実母も含めて本当に具現していくこと。これまでもそう思ってきたが、本気で最期までやり抜こうと決めている。
◆関連記事:
■嫁と姑の関係 その9 第922号ー棲み分けから本当の「同居」へー
わが家の家族憲法 その1 第739 号ー「あったかい家族」をめざしてきたー
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