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わが子との、今のかかわりを大切にしたい! 第876号ー家族への守護の祈り、出勤時の見送り….ー [I-3 親の構え・役割]

◆リード:だた存在する(生きている)だけで有り難い。わが子は本来そういうものだ。だが、突然わが子が亡くなることもある。つまり、わが子の命はいつ奪われるかわからない。だからこそ、今のかかわりを大事にしたい。

2012.3.11 わが子との、今のかかわりを大切にしたい! 第876号

ー家族への守護の祈り、出勤時の見送り….ー

近況:妻の父、3月4日(日)17回忌に出席してきた。妻の父は、妻と私が結婚する2年近く前に亡くなっていた。だから、私は生前の義父を知らない。
 17回忌の際に、ひょんなことから、住職さんより戦時中の疎開の頃の話が出た。
 なんでも、東京の深川区(当時はあった。)から親元を離れて、この住職さんのお寺まで子供たちが疎開してきたそうだ。
 住職さん(現在79歳、当時は小5)によれば、昭和19年8月27日に疎開してきて、翌年の11月には解散したということだ。
 義母(80歳)の話では、義母の通っていた小学校は、当時1学年6クラスあったが、3人ぐらいずつ疎開してきた子供たちがいたという。3人×6で1学年約20名いたわけだ。小3以上の子が、男女別に疎開していた。
 この住職さんの寺には、女子ばかり50名ほどいたそうだ。
 親元を離れて1週間ぐらいは、夜みんなの泣き声が聞こえたという。一人がシクシク泣きだすと、みんなに連鎖していったそうだ。
 卒業式だけは、東京の本校で上げたいと3月6日にこちらを発ったという。
 ところが、昭和20年3月10日の東京大空襲にあい、東京に帰った子のうち半数は亡くなったという。中には、自分以外の家族みんなが死んでしまったという子もいた。
 その孤児は、とうふやのSさんに引き取られたという。そのSさんというのは、毎朝5時頃にきて、疎開先のこのお寺で炊き出しをしていた女性である。
 深川区下町の子は身だしなみが貧しかったとも言っていた。
 「卒業式だけは、東京の本校で上げたい」と帰ったばかりに、大空襲にあって亡くなってしまった子供たち。
 東京大空襲で亡くなった人は、10万人以上と言われる。
 生死を分けた判断は、あとでわかるのであって、当時の本人はもちろん、周りも誰もわからない。わかっていたら、誰も東京の本校などへは帰らない。


【「6年で一生分、ママを愛してくれたんだね」より】

 さて、読売新聞平成24年3月11日(日)の東日本大震災1年特集記事「戻らぬあなたへ」の一つとして、次の記事が載っていた。

 佐藤 愛梨ちゃん(6)  幼稚園児  宮城県石巻市

 変な顔で周りを笑わせるのが好きだったね。毎日くれた「ママ大好き」っていう手紙や似顔絵、こっそり捨ててごめんね。永遠にもらえると思ってたから。卒園式で「いつも大変なお世話をありがとう」って言おうとしてたって、先生から聞いたよ。愛ちゃんは6年で一生分、ママを愛してくれたんだね。一生、ママの宝物だよ。   母・美香さん 37


 この文章と写真を読んで、思わずじーんときてしまった。「変な顔で周りを笑わせるのが好きだった」というのが、クニコと同じだから。写真で載っていた顔もクニコに似ていたから。

 「早くご飯を食べなさい!」
 「プリント類が出しっ放しよ!」
 「宿題は終わったの!」
 「テーブルの拭き方がよくないわよ!」……

 こうしてわが子を叱れるのも、わが子が生きていればこそである。躾けがなっていなくても、成績が悪くても、生きてさえいてくれたら他の望みなどどうでもいいであろう。


【家族の守護を求める祈り】

 約7年前、ブログを始めたばかり頃、次の記事を書いていた。

2005.5.27(金)子供の心配はきりがない*
・帰宅後、クニコの風邪の様子を聞いた。よくなったということだ。よかった。

 子供をもつと、何十かの煩悩を持つという。体の具合が悪くなれば大丈夫だろうかと心配し、頭が悪ければ学校の勉強についていけるだろうかと心配し、年頃になれば変な男(女)にひっかからなきゃいいがと心配する。心配のタネだらけである。

 健康で頭がよければ心配がないかといえば、JR西日本の事故や誘拐、新潟中越大震災などの現実をみれば、それがいつ何時お釈迦になるかわからないという心配がある。ようするに心配し出せばきりがなく、健康で無事生きていること自体が奇跡のようにすら思えてくる。

 大切に大切に育てても、いつお釈迦になるかわからないから、大切に育てなくてもよいかというと、これも誤りだ。農夫は、台風でお釈迦になる可能性があっても、大事に稲や果樹、野菜の世話をしている。いわんや人間をやである。

 自分ができることをできる限り行い、最後は神仏や先祖による加護を祈り、それを信じるほかないのではないだろうか。というわけで、いつも加護を求めそれに感謝する祈りを行っている。(以上 引用)

 
 今もって、私は全く同じ構えである。交通事故などで、一撃でわが子を失うかも知れない。
 だからと言っていい加減でよいはずがない。いやだからこそ、今一瞬一瞬を大切にかかわるしかない。そして、「自分ができることをできる限り行い、最後は神仏や先祖による加護を祈り、それを信じるほかない」と思う。

 実際、私は毎朝、家族全員(と担任している子供たち5名)の加護を神仏に祈ることで一日をスタートさせている。これは完全に習慣になっていて、これをしないと落ち着かず、せずにはおれない。これは、2005.5.27以前から今までずっと続けている。


【出勤時の見送り】

 もう一つ、出勤時の見送りも、ずっと続けているわが家の伝統だ。中1のアキコも、小3のクニコも、妻も、玄関で私の出勤を見送ってくれている。

 「私が生きて帰ってくる保証はないから」

というのが出勤時の見送りの理由だったが、それは妻やわが子にも言えることだ。妻やわが子が生きて帰ってこないこともあり得るのだ。
 そう考えると、一つ一つ心を込めて対応したくなってくる。
 震災の報道を見るにつけて、改めてそう思う。


◆キーワード:1 出勤時の見送り  2 家族を護る祈り  3 東日本大震災

◆留意点・その他

・こんなことを書き綴ってきたら、『最後だとわかっていたなら』という詩を思い出した。短いが、深いよい詩である。

最後だとわかっていたなら

最後だとわかっていたなら

  • 作者: ノーマ コーネット マレック
  • 出版社/メーカー: サンクチュアリ出版
  • 発売日: 2007/06/26
  • メディア: 単行本


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