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学校のルールの歯止め力 第821号 [B2 しつけ:家族のルール・ゲーム・テレビ他]

◆リード:子どもの色々な要求を、「学校のルール」を盾にして拒絶する親は多い。一方で、価値観が多様化する中で、学校では一律に決められないので、各家庭で判断してくださいというケースも多い。子どもの顔色、他の家庭の様子ばかりでなく、親自身の判断に基づいてルールを決めるべきであろう。

2011.6.5 学校のルールの歯止め力 第821号

 6月5日(日)午後現在、アキコ(中1)は、友達4名と一緒に市外の映画館へ、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を見に行っている。

 4月30日(土)にも、アキコは、友達同士で映画「GANTZ」の続編を見に行っている。

 実は、アキコの通っていた小学校は、友達同士で市外に行くことは禁止というルールがあった。映画館は市外にあるわけだから、学校のルールを守るならば、当然友達同士で映画に行くことはできない。

 当時小学校6年生だったアキコとのやりとりを思い出す。

アキコ「ねえ、友達同士で映画○△を見に行ってもいいでしょう。」

妻「うーん、学校のルールでは、友達同士で市外に行ってはいけないことになっているでしょう。」

アキコ「でも、○さんも、△さんも、友達同士で映画館(市外)に行ってるよ。」

私「あのなアキコ、学校で禁止しているということは、それなりに根拠のあることなんだよ。いろいろな人が出入りしている映画館に小学生だけで行くことは危険なんだよ。学校で禁止している以上、他の子はどうあれお父さんは許可しないよ。」

 かくてわが家は、アキコが小学校時代は、子ども同士の映画はもちろん、市外に行くことも許さなかった。

 晴れて中学生になったアキコ。

アキコ「ねえ、今度は友達だけで映画「GANTZ」続編を見に行ってもいいでしょう。」

妻「学校のルールは、OKだからいいと思うけど、お父さんにも聞いてみて。」

私「学校のルールがOKなら、その意味ではいいけど、帰る時間帯が遅くなるのはダメだぞ。」

 かくてアキコは、友達同士で市外の映画館で映画「GANTZ」続編を見に行った。

 さて、今回、アキコにとっては2度目の、友達同士での映画鑑賞である。

アキコの友達のある母親は、

「子ども達だけの映画は許さないできたけど、ファーザー家のお父さん(私のこと)が許可したので、許可することにした。」

と言っていたそうだ。

別のアキコの友達のある母親は、

「子どもだけで電車を乗り継いで市外にやるのは、とても心配だったけど、アキコさんが一緒だったから、許可することにした。」

と言っていたそうだ。

 私は、アキコは小学校時代、友達の家に泊まりたいと言ってきたアキコに対して、「それは早い。」と絶対に許さなかった。アキコがへそを曲げても、許さなかった。そんな対応が、保護者の間でも知れ渡ったいるらしく、「あのお父さんが許可したなら。」となったらしい。

 アキコはアキコで、保護者の間でも信頼があるらしい。

 ここで、学校のルールの歯止め力とは何かである。

 それは、親のそれを守らせようというバックアップがあって初めて生じるものであろう。

 現にアキコが小学校6年生の時、「友達同士で市外に行ってはいけない」というルールがあったにもかかわらず、既に友達同士で市外に映画を見に行っている子供らがいた。

 では、親はどうして守らせようとするかと言えば、そのルールに妥当性があるから(この場合で言えば、<確かに子ども同士で市外に出かけるのは危険だ>という判断)であり、学校への信頼があるからである。

 が、価値観の多様化が言われて久しく、「学校で一律にルールを決めるのは難しいので、各家庭で判断してください」という場合も多い。たとえば、「自転車を何年生から乗ってよいか。」という問題がある。

 そうした場合はどうするか!?

 やっぱり最終的には、各家庭がつまりは親が判断するほかない。たとえば、「家の周りならそんなに車が来ないから、自転車に乗ってもいいよ。」など。

 たとえ学校が禁止していなくても、親が危ないとかまだ早いとか判断すれば、わが子には禁止となる。「わが家の周りは交通量が多いから、まだ自転車乗りは禁止よ。」というように。

 それは、子どもではなくて、親が判断すべきことである。

 同僚の母親であるAさんは、中学生のわが子が「友達の家にお泊まりに行きたい。」と言った際、「わが家では、それは許しません!」と頑として許さなかったそうだ。

 後で、別の保護者から「Aさんのところが、許さなかったので助かりました。おかげでわが子もやっぱり行かないと言いました。」と言われたという。

 昨今の親は、なかなか子どもにNO!と言えないらしい。
 許可するか、許可しないかの基準を、

<子どもが反発するか、しないか> あるいは

<子どもが喜ぶか、喜ばないか>、

<他の家庭がどうしているか>

に置いている場合が多いような気がする。(いや多い。)

 私の場合、許可するかどうかの基準を

<子どもの発達段階や性向をよく考え>

<許可した場合のプラス面とマイナス面の両面をよく考えて>

<長い目で見て、子どものためになるかどうか>

に置いて判断してきた。

 思いつくままあげれば、わが子に<DSの類を与えるかどうか>、<ローラースケートを与えるかどうか>、<夜何時頃まで起きていてよいか>、<市外の映画館に行くことを許可するかどうか>、<友達の家にお泊まりに行くことを許可するかどうか>……が例えばそうである。DSの類に至っては、「クラスのほとんどの子が持っているよ。」と言うアキコに対して、「(持っていない)最後の一人になれ!」と、私は言っていた。

 もちろん、私だって、わが子の反発は嫌だし、わが子の喜ぶ姿を見たい。友達の家ではどうなのかも、気にはなっている。

 がしかし、根本の判断基準は、<子どものためになるかどうか>で判断してきた。
 この判断基準からは、学校のルールがどうなっているかということすら、一つの目安でしかない。そもそも家庭内のことは、各家庭で決めるべきであり、どんなルールを作り、どのように守らせるかは、各家庭の責任で行うべきことである。

 つまり、学校のルールの歯止め力よりも、親の歯止め力こそが大切であり、それに勝るものはないのである。 親は、わが子の実態を一番よく知っており、わが子への愛情も一番強いわけだから。

 ただし、子どものためになるかどうかの賢明な判断力に裏打ちされた親のブレない強さが必要となる。

 もしかしたら、<子どもが反発するか、しないか>、<子どもが喜ぶか、喜ばないか>、<他の家庭がどうしているか>という判断基準に慣れた親は、子どもの顔色だけを見るという思考停止状態もおちいっているのかもしれない。

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