謝恩会「反発していた四郎さんからの手紙」 第799号 [O4 特別支援教育]
◆リード:私が転勤すると知って、特別支援学級に在籍している子どもの保護者が、3月30日夜、送別会(謝恩会)を開いてくれた。保護者も子どもも出席率100%。その会で、子どもからもらった手紙に感動した。
2023/12/19の今日、スノーピークの温泉に行ったら、バッタリ約15年ぶりに四郎さんと母親にあった。
四郎さんは23歳になり、母親にで180cm級の身長で好青年に成長していた。地元のH普通高校を卒業して、大学を受験するも落ちて、2年目も落ちた(母親は明治大学などを受けたと言っていたが)。がっくりしていたところで、結局マレーシアの大学に行ったという。英語がペラペラになり、雰囲気でうまくいっていることが伝わってきた。卒業したら地元に帰ってきて、起業するのだという。お母さんが「将来、私にマンションを買ってあげる」と言ってくれたと話した。僕が「厳しくし過ぎたかな。」と聞いたら、「いや、よかったです。」と言っていた。
一緒に写真を撮り、握手して別れた。実は、サウナに一緒に入っていた時、チラチラと僕の方を見ていたのだが、あまりに身長が高くなっていて、気づかなかった。好青年に育っていて、本当にお母さんも嬉しそうだったし、僕も嬉しかった。
2010.3.30 謝恩会「反発していた四郎さんからの手紙」 第799号
6年間勤務した現任校(特別支援学級は実質的に私が立ち上げた)から、私が転勤すると知った特別支援学級在籍の保護者は、急遽送別会を開いてくれた。参加者は、在籍している子ども4名全員とその保護者ー母親中心に5名(四郎さんのところだけ祖母も出席)ーで、出席率100%であった。
6年生の二郎さんだけは、6年時の1年間在籍であったが、あとは入学以来ずっと私が担任していた。これまでの写真をCDに焼いてプレゼントしようと思い、子ども達の1年生からの写真を見ていた。一緒に畑を耕したり、虫取りをしたり、絵を描いたり、そり滑りをしたり、レストランで食事をしたり……。大人びた今の顔ではない、いたいけでかわいい顔。なつかしくて、なつかしくて、楽しかった日々が思い出されてきた。思わずうるっとしてしまった。
「ああ、この子達と過ごした長かった日々。楽しかったなあ!」
もうじき5年生になる四郎さんは、言葉遣いが荒く、ここ最近ずっと私に反発することが多かった。それだけに、四郎さんと仲良く虫取りをした頃を思い出した私は、またうるっとしてしまった。
「あの頃の四郎さんは、かわいかったなあ。」
【四郎さんの反発】
四郎さんの私への反発は、尋常でない。まず言葉遣いがひどい。
「ハゲ!」
「お前なんか、あっちへ行け!」
「お前となんか勉強しない!」……
実際、私を避け、大好きな指導員のAさんから教わることもしばしばあった。
がしかし、私は一貫して「ダメはダメ!ならぬことはならぬ!」で最後まで通した。
インターネットなど、やってもよい時間をオーバーしたら、容赦せず止めさせた。
言葉遣いも、3回ひどい言葉をいったら、昼休みに7分間タイムアウト(静かに椅子に座っている)させた。
交流学級での授業中あるいは指導員さんとの学習で、集中できずに課題が残った場合、学習が遅れないように、私が昼休みに全部させた。宿題にしても、忘れてきたら、私が昼休みに全部させた。終わらないうちは、休み時間にさせなかった。(詰めはいつも私)
交流学級での学習態度ー私語、よくない姿勢などー見逃さず指導した。教科書やドリル、リコーダー、筆記用具などを忘れていくことがよくあり、これは黙って私が届けた。
交流学級での学習内容場面でも、サポートが必要な場合が多々あった。たとえば「社会科の○市の紹介パンフレットを作る」学習なら、私があらじめ資料を用意しておいたり、書き方のモデルを示したりして、竜さんが自分で学習できるように配慮していた。
清掃などやらなかったことが私にわかったら、5時間目に入っても、きちんとやらせていた。
いくら悪態をついても反発しても拒否しても、「ダメはダメ。」で叱責されるし、最後にはやらされる。
いくら悪態をついて反発していても、必要なサポートは(頼みもしないのに)必ず来る。
私は、この点一貫していた。もちろんほめもしたが、叱られるようなよくないことをしているに、四郎さんの反発が恐くてあるいは四郎さんに好かれようとして看過することは一切しなかった。
【四郎さんからの手紙】
さて、送別会は夜6時から9時(実際は9時20分)で、四郎さんのお母さんがこう言った。
「四郎、手紙の用紙は用意したから、ファーザー先生に手紙を書きなさい。嫌なことがあったら、正直にそれを書いてもいい。お母さんは、手紙を見ないし、言わないから。」
こう言って、四郎さんのお母さんは、「こんなふうに書いたら」など一切アドバイスを言わず、また書いた手紙も見ていないそうだ。
そんな会話をしてしばらくしたら、四郎さんが手紙を渡してくれた。
四郎「先生、これ手紙。あとで見てね。」
■ ファーザー先生へ
4年間べんきょうをおしえてくださって、ありがとうございました。
4年間ずっと、きかんぼうだったけど、ここまでこれたのは、ファーザー先生や、A先生(指導員のAさんこと)とか、いろいろな先生がたに、いろんなことをおしえてもらったからです。ぼくが、中学校に、いったら、もっともっと、がんばるように、します。長いあいだ、ありがとうございました。
私はこちらの思いが正しく伝わらずに嫌われていたのかなと思っていただけに、とってもうれしかった!
向かいの席にいた四郎さんのおばあちゃんに手紙を見せた。
おばあちゃん「私も手紙はまだ見ていないんです。失礼なことを書いていたらどうしようかと心配だったんです。」
私「いい手紙でしょう。四郎さんの成長がとってもうれしいです!」
四郎さんのおばあちゃんも、笑顔でうれしそうであった。
思い起こせば、おばあちゃんは、四郎さんが特別支援学級に入るか、通常学級に入るか決めるときに、特別支援学級に入ることに大反対していた。そのおばあちゃんも、その後の四郎さんの成長ぶりを見て(1年1学期は体育しか交流していなかったが、今はほとんどの学習で交流している。友達とも仲良く遊べている。)、「特別支援学級に入れてよかった。」と言っていた。
おばあちゃん「四郎には、父親がいないんです。だから、私やお母さんが叱っても甘くみるところがあります。ファーザー先生が父親の代わりできっちりと叱ってくれてよかったです。それで、四郎も先生の言うことは聞きました。」
こう言っていた。
【四郎さんのお母さんの言葉】
四郎さんのお母さんにも、その場で手紙を見せた。
四郎さんの母「こんなふうに書いていたのね。…『ほめて気持ちよくさせたり、好きにさせておくことは誰でもできるんだ。よくないことをきっちりと叱ることが本当に四郎のことを考えてくれていることだよ。』こう思って、四郎にもそう話してきたんです。」
私「そのように、私も考えてブレずに一貫してダメはダメと言ってきたんです。四郎さんにもそれが伝わっていたようで、私はとってもうれしいです!」
四郎さんの母「A先生(指導員のAさんこと)のことは、大好きなんです。でも、(優しい)『A先生に逃げるな!』と思っているんです。」(A先生はまず四郎さんを受け入れる。四郎さんの調子がよくないときなど無理に課題はさせない。やらなかった課題は、私が昼休みにやらせてきた。)
保護者はよく見ているなと、私は感心した。それぞれの先生の指導の核心を突いてくるのである。
この点は、受け入れ第一のA先生の弱点と言えばそういえるかも知れないが、私とのパートナーシップに基づき、役割分担をしているのである。私が父親役、A先生は母親役である。どちらの対応も必要なのだ。
この後、「私の代わりに来る新しい先生は女の先生で、(私という厳しく叱責してくれる人がいなくなって)四郎が乱れるのではないかと心配だ」と、お母さんは言っていた。
私は、四郎さんにとって間違いなく煙たい存在だったと思う。好きにさせてくれず、よくないときは遠慮なく叱ってくる。離任式のとき、ステージに上がる前に四郎さんの脇を通った際、私は、四郎さん一人あぐらをかいて座っているのに気づいた。そこで、
「四郎さん、あぐらはダメ!体育座りだ!」
こう言って注意した。四郎さんは、
「うるせー!」
と言葉を返してきたが、登壇した後、四郎さんを見ると、あぐらをやめて体育座りをしていた。
私は一貫して「ダメはダメ!ならぬことはならぬ!」で最後の最後まで通した。
私には、この対応が愛情表現そのものなのだが、「反発する四郎さんには伝わっていないのかもしれないな」と思っていた。
がしかし、今回の手紙で伝わっている部分がしっかりとあるとわかった。それがとてもうれしかった!
子どもは、本当に自分のことを考えて叱っているかどうか、敏感に感じるところがあるのかもしれない。
【関連記事】あったかい家族日記 「家族の広場」
◆キーワード:1 子どもからの手紙 2 子どもを叱る 3 送別会
◆留意点・その他:
・あれだけ反発してきた四郎さんがそうなったのは、私の一貫した態度ばかりでなく、お母さんの『ほめて気持ちよくさせたり、好きにさせておくことは誰でもできるんだ。よくないことをきっちりと叱ることが本当に四郎のことを考えてくれていることだよ。』と四郎さんに言い聞かせてきた対応が大きいと思う。
そういえば、指導員のAさんも、私の対応について、時折四郎さんにお母さんと同じように言い聞かせていた。「ファーザー先生は、四郎さんのことを考えているから本気で叱っているんだよ。」と。
このようなサポートがなければ、私の厳しい対応による愛情表現は、うまく伝わっていかなかっただろう。
熟読させていただきました。
同じ業種で働いている者として、いくつかコメントさせて下さい。
・「ほめて気持ちよくさせる事は簡単・・・」と書いてありますが、簡単な事なのでしょうか?指導員Aさんは、ほめて気持ちよくさせるだけではなく、支援だったのではないでしょうか?
・「課題が残った時・・・」全て私がやらせた!と書かれていますが、課題を残す事も指導員Aさんなりの考えがあったのではないでしょうか?
・「指導員Aさんの弱点」と書かれていますが、弱点なのでしょうか?私には「ただ優しいだけの人」には、思えないのですが・・・
最後に、「~させた」「~してやった」等の言葉の表現について、支援者としてはいかがなものかと思います。ご自身の自己満足だけなのではないでしょうか?対象児者や理解あるその家族・関係者が読んでいたとしたら、腹立たしく思うのではないでしょうか?支援者として、不適切な表現方法であり、読み手側としても快よいものではありませんでした。私たちは、あくまでも支援者です。「自分」「自分」を捨て、周囲への感謝の気持ちや「おかげさま」の気持ちを持って、仕事をしていただきたいと思います。
by チョコラBB (2011-04-02 21:30)
>チョコラさんへ
ていねいなコメントありがとうございます。
まず、「ほめて気持ちよくさせる事は簡単」というのは、保護者の言葉です。結論を言えば、ほめること一つとっても、簡単ではありません。まして好かれる(ラポールを築く)ことは、容易ではありません。
実際、大好きと言われている指導員さんを尊敬しています。→子どもに好かれ信頼される方法 第712号ー指導員Aさんに学ぶーhttp://kazoku.blog.so-net.ne.jp/2010-04-10
私は「弱点と言えばそういえるかも知れないが、私とのパートナーシップに基づき、役割分担をしているのである。私が父親役、A先生は母親役である。どちらの対応も必要なのだ」と書いており、私の対応も同じく子どもに煙がられる分弱点かも知れませんが、どちらの対応も不可欠だと考えています。この辺りの役割分担は、指導員さんも自覚しており、「じゃあ、昼休みにファーザー先生と学習するでいいのね。」と四郎さんにも確認しています。私との間でも、もちろん了解済みのシステムです。
また、第712号に詳しく書いていますが、指導員Aさんのサポートがなければ、四郎さんを含め、うまく教育活動が展開しません。
最後に、「支援者」というのは、弱い表現だと思います。教員はそれだけではいけないですね。→子どもは変わる!ーすさまじい偏食を治す!パート3-
http://kazoku.blog.so-net.ne.jp/2006-07-16
→窓ガラスを割った反抗挑戦性障害のAさんへの対応 その3 第662号http://kazoku.blog.so-net.ne.jp/2009-11-14-2
理由は、以上の記事を参考にされてください。言葉尻ではなく、本当にその子ことを考えて、「汗をかけるか!」それが大切だと思います。
もちろん、家庭との連携は不可欠ですし、子どもの可能性を信じ、教師はその可能性を引き出すことが基本です。
→子育ての心構えとポイントhttp://kazoku.blog.so-net.ne.jp/2007-02-17
→指導員(介助員)さんの仕事 第655号http://kazoku.blog.so-net.ne.jp/2009-10-27
by ファーザー (2011-04-03 09:51)