起業に成功した母 第785号ーアキコへのキャリア教育 その5- [K7 実父母]
◆リード:中学1年にして、将来編み物の先生になること、そのために、東京にいる日本一の編み物の先生のもとで学ぶことを決めていた母(アキコの祖母)。かねてからの希望通り、東京の「日本編み物学園」で半年間精力的に学び卒業した。帰郷した母は、さっそく起業した。
2010.2.5 起業に成功した母 第785号
ーアキコへのキャリア教育 その5-
母は、かねてからの希望通り、東京の「日本編み物学園」に入学した。
前号で紹介したように、お金も、時間も惜しんで精力的に学んだ。
今回は、その続編である。
【ソフトクリームの誓い】
前号で紹介したように、外食など一度もせずに節約し、ファッションショーを見て学んだ母。
当時は、世田谷で5人で8(10)畳一部屋での寮生活だったが、代々木から渋谷までよく歩いて電車賃を節約したそうだ。
友達がキセルをしていて見つかり、連座して、罰金を取られたこともあったそうだ。
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渋谷駅の前に食堂があって、そのショウウインドーにソフトクリームが初めて出たことがあった。同室で同年齢だったフカザワさんと
「これがソフトクリームね。(高くてともて学生の身分では食べられないけど、)働いてお金ができたら、これ食べたいよね。」
と、ショウウインドー越しに見ながら言い合っていたそうだ。
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【中川さんのおじさんは、帝国ホテルの料理人だった!】
いよいよ卒業というときに、同室の中川さん(富山県出身、ハイレベルの編み物教室についていけず、母が個別に教えてあげた人)のおじさんが、同室の仲良し4名に帝国ホテルの食事に招待してくれたそうだ。
なんと、中川さんのおじさんは、帝国ホテルの料理人だったのだ!
部屋のみんなは大喜び。
「おじさんが帝国ホテルの料理人だと、なぜもっと早く言わなかったの。だったら、もっと大事にしたのに。」
と、部屋のみんなは言っていたそうだ。
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【帰郷の翌日には起業した母】
高校卒業の18才で、4月に「日本編み物学園」入学し、半年後の9月にそこを卒業した母。
母の母親(私からは祖母)は、卒業を見越し、編み物教室の場所を確保し、広告まで打って、既に編み物教室の生徒を募集していた!
かくて、母は帰郷した翌日から、郷里で編み物教室を開いた。
自分が編み物教室の先生で、かつ経営者であるから、まさに起業である。
東京から帰ってきた先生が教えるというので、みるみる生徒が増えて、初めに借りた部屋では手狭になり、その年のうちに教室をより広い部屋に引っ越したという。
とても一人では教えきれずに、東京の日本編み物学園時代の友達にも応援に来てもらって、二人で教えたという。
しかも、母は、朝から夜まで教えるのに手一杯で、実家から女ごしょが来てくれて、ご飯を作ったり、洗濯をしたりしてくれたりしてくれたそうだ。
当時は、編み物の全盛期で、母の編み物教室は、スタートから大成功した。
中学1年生から「編み物の先生になる」と念願し、そのために努力を重ねてきた母。七年目にして、とうとうその夢は、叶ったのである。
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【翌年の秋にはファッションショーを開催】
編み物教室を開いた翌年の秋、母は、役所の勧めに応じて、編み物のファッションショーを開催した。
母は、東京で編み物のファッションショーをたくさん見てきたから、開催できた。しかし、他の編み物教室を開いていた人は、編み物のファッションショーを見たことがないのでできなかったという。
母のファッションショーは、大成功だったそうだ。私も、ずっと昔、そのことを伝える古びた新聞記事を見せてもらったことを思い出した。
【母、結婚を決意する!】
母のファッションショーでの活躍ぶり(?)など、役所の人から「独身で優秀な人がいる」という評判を聞いた父の父親(私からは祖父)は、是非息子の嫁にと動いた。
将来私の父となる人は、A銀行に勤めていた。
両親が用意した家もあった。
編み物教室の場所が是非欲しい母は、その家があればその2階で教室が開けること。銀行勤めなら安心ということで、本人をよく見ないで結婚を決めたそうだ。
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※ この件については、ずっと昔、将来の父ではなく、父の父親が、何ヶ月も雨の日も雪の日も、「息子の嫁に欲しい」と通ってきたので、決めたと聞いている。
【ばんばんもうかる教室】
朝8時から5時までの昼の部で教え、夕方6時30分から9時までの夜の部で教え、しかも、土曜日も教えていた母。
しかも、毎週土曜日の終列車で東京へ行っていた。東京では、地元では売っていない最新の編み機などを購入するために編み機の会社へ出向いたり、ファッションショーを見たり、母校の講習会に参加したりしていたという。
私は東京のセミナーに参加するために、多いときは月3回ほども東京へ学びに行く生活を5年ほど続けたが、母の影響かなと思った。
とにかく母の教える編み物教室は大盛況で、土曜も休むことなく、朝から夜まで働いていたし、編み機の購入のマージンも大きく、ばんばんもうかったという。
お金を数えている暇もなく、経理は父に任せていたという。
母は、その金で父の名義で土地を買ったが、それは私が稼いだ金だと言っていた。
また、母は、母校の夏期講習にも、自分の優秀な生徒を参加させ、免許をどんどん取らせたという。単にスキルを教えるばかりでなく、その面でも、優秀な編み物の先生でもあった。
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【生徒を教えるのに夢中だった母】
母は、
「自分の好きな仕事だから、ファッションショーや、生徒に教えることに夢中だった!」
と言っていた。
お金のことは、考えていなかったとも。
でも、結果的には、土地を買えるほどに、お金はばんばん儲かっていたそうだ。当然、銀行員の父の給料をも上回っていた。
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さて、18才で起業して半年後、母は、同室の友達で同年齢だったフカザワさんと手紙で連絡を取り合い、約束通りソフトクリームを食べた。渋谷駅前にある忠犬ハチ公のすぐそばの食堂で。
「おいしいね。これ本当においしいね。」
と言い合いながら……。
【アキコへの身近なキャリア教育】
以上が、祖母による孫のアキコ(小6)へのキャリア教育パートⅠである。
祖母が、中学1年で編み物の先生になることを志し、
中学・高校と編み物教室に通い続け、
高校では学費以外は自分で稼ぎ出し、
日本一の編み物の先生から学んだこと。
節約しお金も、時間も惜しんで、精力的に学んだこと。
帰郷した翌日から、編み物教室を開き、成功したこと……。
いつもかわいがってくれる祖母の実体験だけに、とても身近に感じたに違いない。
そして、「私も、中学時代に志(夢)を抱き、そのために、がんばっていこう」と少しでも感じてくれれば、有意義なキャリア教育になったと、私は考える。
【関連記事】あったかい家族日記 「家族の広場」
『祖母の人生から学ぶ』 第780号よかったらnice! ブログを書く意欲はあなたのnice!に支えられています。
◆キーワード:1 キャリア教育 2 将来の夢 3 実母との会話
◆留意点・その他:
本当に、いいお話ですね〜。
私も、お母様が『これがソフトクリームね』と
仰ってる姿が目に浮かび、感動してしまいました。
夢に向って、まっしぐらに頑張る気持ちの強さ,
起業してからも慢心せず、目的を果たし、
次々と新しい生徒さんに教える熱意。。。
お母様の姿が、本当に素敵です。
今はお習字の先生ですか!!
資格って、大切ですね。
私も、見習って頑張りたいと思いました。
素敵なお話をありがとうございます。
by qooo (2011-02-11 18:22)
>qoooさんへ
帰郷した翌日に起業したことにすごく驚いた私です。
母の母親が部屋を借り、生徒募集の広告まで打っていたとは、段取りのいいこと……。しかも当時、母は10月下旬の生まれなので、まだ18才なのです。
母は、
「自分の好きな仕事だから、ファッションショーや、生徒に教えることに夢中だった!」
と語ってくれましたが、好きなことを仕事にして成功した母を、私は尊敬します。
お金は二の次どころか、三の次、四の次だったようです。これも、今の書道教室がそうですから、想像がつきます。
私が大学まで行けたのも、母の稼ぎによるところが大きいので、感謝しています。
by ファーザー (2011-02-15 18:35)