今年の「父と子塾」をふりかえる 第533号 [D1 父と子塾]
◆リード:2005年9月11日(土)から始めた「父と子の塾」であるが、この1年ほどは不定期開催であった。やった内容を振り返ると、アキコへの働きかけがほとんどであった。『父と子塾』の再出発を決意した。
2008.11.16 今年の「父と子塾」をふりかえる 第533号
ー『父と子塾』再び その1ー
第7の原則「親が教える機会をもつ」の第2節として「父と子塾」のことを取り上げた。
父と子塾は、ワタミ社長である渡邉美樹『父と子の約束』の中に載っていた「父と子の勉強会」の実践を読んで感銘を受け、私も週1回子供たちを教える時間を持とうと、始めたものである。
わが家の、第1回の「父と子塾」は、2005年9月11日(土)、アキコが小学校1年生で、クニコが3歳児のときに始めている。以来、原則毎週1回1年以上は続けてきた。
ところが、この1年は不定期開催で、やれない(やらない)ことが多かった。
この1年どうであったかふりかえってみると…。
【この1年の「父と子塾」】
アキコについては、次のような実践を思い出す。
○金銭教育の実践…お小遣い制への移行をにらんで、金銭教育指導者団体『マネーじゅく』から、「おうちdeこづかいゲーム」という子供に金銭指導をするためのゲームを購入し、一緒にゲームをしながら、金銭指導をした。(去年から)
○親業一般講座を、アキコのために開いて、コミュニケーションの仕方を教えた。(私は親業のインストラクターでもあるので。)
○夏休みの課題「ふるさと絵画」について一緒に市内を回り、対象を決め、絵を完成するまでサポートした。
○自由研究「東北一週間旅行記ー5W2H記ー」の構想からまとめまでをサポートした。
大きなところは、こんなところである。
クニコについては、本の読み聞かせをしたり、「東北一周旅行絵日記」を作るサポートをしたりした。
不定期開催でも、アキコについては、ある程度しっかりとした内容ができたと考えるが、クニコにはほとんどやれていない。アキコについても、不定期開催で、やらない週も多々あった。
【「父と子塾」がなかなかやれなかった理由】
なぜ「父と子塾」がやれないことが多々あったのだろうか。
理由1 クニコの七田チャイルドアカデミーが、火曜日から土曜日の午前中というこれまで父と子塾をしていた時間帯に入ってきたから…私は、アキコにはこれまで通り、その時間帯にマンツーマンで教え、クニコは妻が七田チャイルドアカデミーに連れて行くというパターンが多くなってしまった。これがクニコにとって「父と子塾」がほとんどなくなった大きな理由である。
理由2 3月から10月まで「10年愛されるベストセラー作家養成コース」を受講し、月1回東京に行くばかりか、その宿題に追われるなど、忙しくなった。
理由3 以上のことを言い訳にしつつ、「アキコもクニコもよく育っているし、まあいいか。」となってしまっていた。
【「父と子塾」再び】
ところが、今回あらためて渡邉美樹『父と子の約束』を読み返し、自分の当初の「父と子塾」にかけた志を読み返してみると、やっぱり今のようなペースで不定期開催の「父と子塾」では後悔すると思った。
せっかく父親として、子供たちを教えるという機会を得たのだから、精一杯やってみたいという意欲が沸いてきた。
渡邉美樹さんはあの社長業という忙しい中で「父と子の勉強会」をやり通せたのだから、要は優先順位であり、心がけ次第だと改めて思い直した。
ブログ記事や子育て本の原稿を書くのに忙しくて子どもとかかわれないというのは、本末転倒だとも思った。
そして、
「子供に幸せになってほしい、成長してほしい、親子の絆を大切にしたいという願いをもって始めた父と子塾だが、まだ達成半ばである。ここで、手綱をゆるめるのは、早過ぎる。まだ、十分わが子に伝えきっていない。教えなければいけないことがいっぱいある。親子の絆もまだ十分ではない。」
このように考えた。
あいさつなどの躾や基本的な生活習慣、家族として協力し合うこと、かしこさ、読書の習慣など、比較的にうまくいっている現状はあるが、それだけではまだまだ不十分だと考えた。
私は、わが子に基本的な躾や生活習慣などに加えて、夢(志)、生き方、働くということ、身を守る力、段取り力、粘り強さ、力を合わせるということ、性教育(男女のかかわり)など、しっかりと教えてから世の中に送り出したいと考えた。
今の荒み乱れた世の中を思うとき、とてもこのままわが子を世の中に送り出せないという、親としての正直な気持ちもあった。
そこで、
○「アキコが15才になるまで、原則として父と子塾を定期開催する!」
ことに決めた。
そして、そこで培う共通の価値観、信頼関係(絆)をもとにして、
○「生涯にわたって対話が成立し、わが子からいろいろな問題について相談されるような、助け合えるような関係を築く」
ことに決めた。
美樹さんは、『父と子の約束』の中でこう書いている。
「父と子の勉強会」は、いまも継続している。息子たちとの会話の中で、息子の思うところを聞き、相談されれば、アドバイスする。このように現在は、将也と私、烈士と私というように、個別で勉強会は続いている。……中略ファーザー、次男の烈士さんは、九州の中学に進学している……将也に「将来、お前にはこういう考え方で、こういう勉強をして、こういう社会人になってほしいんだよ」という話をよくする。そのとき、彼は理解を示してくれる。最近は「大学について語ることが多い。大学の入学先、卒業後にどうするか」という話である。将来の話に理解を示してくれるのは、次男の烈士も同じである。 小さい頃からの勉強会の下地があるからだろう。もし、そうした下地がなかったら、「将来はこうしたほうが君のためだよ」と私が言ったところで、反発されて終わりだ。「僕の人生は、僕が決めるんだ」ということになるだろう。 小さい頃から、息子たちの話を聞いては質問したり、意見を言ってきたという信頼関係があるので、そういう会話が自然とできている。……同書151ページから152ページより引用
美樹さんは、父と子の勉強会をやり通し、二人で夕食をとりながら共通の価値観の中で、子どもが高校生になっても、自然と濃い会話ができる関係を手にした。
わたしだって、「父と子塾」をやり通すならば、必ずできるはずだ。
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◆留意点・その他
・渡邉美樹『父と子の約束』には、親としての真摯な姿勢に感銘を受けた。お勧めの本である。
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