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9年ぶりに専業主婦から仕事人へ(共働き) [L 仕事]

◆リード:この4月から妻が働き始めた。実に9年ぶりである。3月の家族会議から急に動き出したことである。


2007.4.7 9年ぶりに専業主婦から仕事人へ

 この4月から妻が働き始めた。
 実に9年ぶりである。
 
 3月4日(日)朝のこと。私が1階へ行ってみると、実母が配られてきたばかりの市報を持ってきた。

実母「市で臨時の職員を募集しているれ。タカちゃんに(働き口として)どうだい。」

 市報を受け取り、2階へ。妻と市報を読んでみると、特別支援が必要な子供に付いて介助する臨時の職員を募集していた。日給は6,200円で、勤務時間は8時15分から5時15分。募集人員は、中学校1名、小学校1名の計2名であった。
 〆切は約10日後で、それまでに履歴書を添えて申し込まなければならない。面接試験は、約2週間後である。

私「タカちゃん、どうする?」
妻「う~ん、周りはみんな働いているし、そろそろ働かないといけないと思っていたから。それに、お義母さんとずっと一緒より、日中働きに出ていた方がいいような気がする。」

私「タカちゃんにその気があるなら、進めてみるか。もともとクニコが保育園に上がったら、勤める予定だったんだしね。(既に1年遅れているが)」

妻「でも、私が働きに出ると、クニコやアキコが帰ってきてから誰か見ていないと……。お義母さんが見ることになるんだろうけど、いいかしら。」

私「お母さんから出た話だし、見てもいいと言っていたよ。そのことなら大丈夫だよ。それにアキコとクニコが大きくなってくると、教育費がかかってくるし、将来に備えて貯金も必要だし、ダブルインカムの方がいいよね。」

妻「そうよね。」

 その後、10時過ぎ、妻の就職についての家族会議が始まった。

実母「ここ1,2年が就職のチャンスなんだよ。(団塊の世代の)大量退職が出るし、好景気だし。」

私「そうだね。チャンスかもね。」

実母「それに、将来の生活を考えると、一人だけの働きじゃ、生活するのがやっとで、貯金できないろうね。」

妻「そうなんです、本当に。」

 ここで、実母が二人の子供(私と兄)を大学に出すために、いかに大変だったかという話をした。父は銀行員、それだけの収入ではとてもじゃないが、足りなかったこと。自分が働きに出たり、内職をしたりして、やっと仕送りしながら生活できたことを話した。

 妻が働きに出ることについては、実はこれまでも、何度か妻と話していた。クニコも保育園に行き始め、手が離れたし、将来に備えて貯金するためにも、妻が働く必要は認識していた。私一人の給料では、生活することで手一杯であることも、妻は自覚していた。
 働く必要は認識しつつも、就職先まで具体的な形での、話し合いは初めてだった。

 実母が就職を勧める理由は、次の通りであった。
①好景気の今がチャンス。取りあえず臨時で採用され、本採用をめざすとよい。
②二人働かないと、貯金・教育費は捻出できない。
③将来、年金がもらえる。
④働くことで、人として成長できる。
⑤子供の帰宅後の世話は、私が見る。

 私は、これから教育費等がかかってくるし、将来に備えての貯金の必要があることも、わかった。
 加えて私は、十分に働ける状況の人が働かないでいることは、社会的損失であると思っていたので、

「タカちゃんが働く気があるなら、働いて社会の役に立った方がいいよ。それに、その方がいろいろ刺激を受けて成長できると思うよ。」

と話した。

 さらに、たまたま私と同じ特別支援教育にかかわる仕事だから、よくイメージできるのだが、

①介助員さんは、教師と違って授業の計画は一切しなくてよいから、8時15分から5時15分までの勤務で本当によいこと。(教師は5時間授業するなら5時間分の授業準備が必要となる。)
②特別支援教育は、少人数の個別指導が基本だから、我が子の子育ての延長で考えられ、9年間のブランクがあってもそれを埋められそうなこと。
③介助員さんの勤務時間の延長は(教師と違って)ほとんどなく、夏休みや土・日の休みも私や子供と同じ(夏休みの8月中は解雇である)だから、家庭生活に支障があまりないこと。

 これらを話し、この意味でも理想的な仕事だと話した。

 妻は、「自分は、以前勤めたことのある会計事務所の仕事を考えていたけれど、会計事務所の仕事は、夜遅くなるからためらっていた。しかし、今回の仕事は定時に帰れそうだ。」と基本的にこの仕事に就くことはよさそうだと言いつつ、次の問題点を指摘した。

①お義母さんがアキコとクニコの世話・塾の送り迎えで大変になること。
②アキコは塾のない火曜日の遊び(我が家に5人~10人くらい遊びに来る)を楽しみにしているけれど、私が勤めに出ると、それができなくなること。

 実母は、アキコとクニコの世話・塾の送り迎えはよいが、「アキコのエレクトーン教室は隣市から市内のエレクトーン教室に変えてほしい」とのことだった。
  
 話し合いの結果、ほぼ今回の募集に応募しようということでまとまったところで、隣の部屋で遊んでいたアキコ・クニコが呼ばれた。

私「アキコ、クニコ、この4月から、お母さんは働きに出るかもしれないよ。」
妻「そうなると、エレクトーン教室はN市でなく市内に変えないいけないよ。火曜日も今までみたいにお家にお友達を呼んで遊べなくなるよ。」

アキコ(しくしくと泣き出す。)

妻「(泣いているのは)エレクトーン教室のお友達を別れるのが嫌なの? それとも火曜日にお友達を呼べなくなるのが嫌なの?」

実母「アキコ、泣いてはだめだよ。家族は助け合わないとだめだよ。あーちゃんも大変になるの。みんなが助け合うの。」

アキコ(泣き続ける。)

実母「泣いてちゃだめだよ。今までお母さんがそばにいて恵まれていたんだよ。帰ってきてお母さんがいない家はたくさんあるんだよ。今までお母さんがそばにいてくれていたんだから感謝しなきゃ。」

アキコ(泣き続ける。)

クニコは事情がよく飲み込めずにあっけらかんとしている。

妻「アキコ、まだ決まったわけじゃないんだよ。」

 10時過ぎから12時過ぎまでの、2時間の家族会議の結果、結局、市の臨時職員の仕事に応募することにした。

続く

【関連記事】あったかい家族日記「5/30主婦としての負い目を感じることなく、子供との時間を心ゆくまで楽しんでほしい 」

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◆留意点・その他:

・もともと我が子が3歳になるまでは、母親は育児に専念した方がよいと思ってきた。逆に言えば、クニコが保育園に上がった時点で、再就職してもよかったのである。
・子育ては価値ある素晴らしい仕事であると思っている。
 私は、「仕事をやっているほうが偉いという観念を手放して、子供との時間をぜひ心ゆくまで楽しんでもらいたい」(「5/30主婦としての負い目を感じることなく、子供との時間を心ゆくまで楽しんでほしい 」)と思ってきたし、そのように妻にも話してきた。
 妻はその通りに子育てに専念し、子供を優先してきた。妻に後悔はないと思う。


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