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藤原正彦 『国家の品格』と英語教育 173号 [C2 学習]

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2006.3.30藤原正彦 『国家の品格』と英語教育 173号

 ついさっき藤原正彦『国家の品格』を読んだ。久しぶりに骨太な、まさに品格のある本を読んだ気がした

 藤原氏は、小学校では英語教育よりも国語をしっかりと教えることが大事であり、それによって中身のある日本人を育てることこそが、真の国際人(世界に出て、人間として敬意を表されるような人)を育てることになると主張されている。

「初等教育で、英語についやす時間はありません。とにかく国語です。一生懸命本を読ませ、日本の歴史や伝統文化を教え込む。活字文化を復活させ、読書文化を復活させる。それにより内容を作る。遠回りでも、これが国際人をつくるための最もよい方法です。」
(前掲書42頁より引用)

「なぜ小学校で英語を教えるなどということになったのでしょうか。『国際人』がらみです。ここで国際人とは、海外でも人間として敬意を受けるような人間、ということにいたします。こんな論理です。『小学校で英語を教える→英語がうまく話せるようになる→国際人になる』。たったツーステップです。たったツーステップです。凄くわかりやすい。だから国民は大喝采で支持する。~中略(ファーザー)~同じツーステップでも、『小中学校で国語を強化し読書を推奨する→人間の内容が充実する→国際人になる』の方がはるかに信頼性が高い。」(前掲書59頁~60頁より引用)

「そもそも小学校で英語を二、三時間勉強しても、何の足しにもなりません。きちんとした教師の下、週に十時間も勉強すれば少しは上達しますが、そんなことをしたら英語より遥かに重要な国語や算数がおろそかになります。そのような教育を中高でも続ければ、英語の実力がアメリカ人の五割、日本語の実力が日本人の五割という人間になります。このような人間は、アメリカでも日本でも使い物になりません。少なくとも一つの言語で十割の力がないと、人間としてまともな思考ができません。言語と思考はほとんど同じものだからです。日本の公立学校は一人前の日本人を作る教育機関ですから、英語はダメなのです。」(前掲書114頁~115頁より引用)

 藤原氏の次の主張に賛同する。
①国際人を「世界に出て、人間として敬意を表されるような人」とするならば、まず日本人としての中身がしっかりしていなければいけないということ。(裏を返せば、英語がいくらできたって、中身がしっかりしていなければ、世界に出ても尊敬されないということ。)

②日本人としての中身の充実のために、国語の強化、日本の歴史や伝統文化をしっかりと教えること、読書文化の復活が大切だということ。

③英語の実力がアメリカ人の五割、日本語の実力が日本人の五割という中途半端になるくらいなら、先の中身の充実につながる国語や算数などに限られた時間を割くべきだということ。(氏が主張するように、本当に英語の実力がアメリカ人の五割、日本語の実力が日本人の五割という人間になるとしたらです。)それに、世界で尊敬されるにはまず中身が重要ということもそうですが、大方の日本人はほとんど日本国内で普段は生活するわけで、日本語がしっかりできることの方が生きていくうえで遙かに重要だから。

 さて、昨年12月だっただろうか。夕食後、家族で英語教育をどうしたらよいか話し合った。

 驚くべきことに、一番その必要性を主張したのは、70歳の実母だった。そして私。(「民族耳になっていない幼児期こそ外国語の学習に適している。」と言っていた。)妻は「いずれは必要だろうけれど、小さいうちからそんなに教えなくとも……。」という感じだった。
 
 英語教育を進めることに決めた我が家の理由は、次の通りであった。

①既にそうであるが、将来は今以上に国際社会を舞台にしてビジネスが展開していくし、文化の交流が行われていく。そこでの国際語である英語をマスターしておくことは、日本人として堂々と渡り合っていくうえで意味がある。言語上のバリアーを破るという意味がある。(本田健氏は、日本だけを相手にするなら1億人相手のビジネス、英語圏を相手にすれば10億人相手のビジネスと言っていた。)別に人間としてしっかりとしていて、その道で成功すれば、通訳を使ったり、英語のできる部下が付いたりするわけで、半端なこと(英語の実力がアメリカ人の五割、日本語の実力が日本人の五割という意味に近い)になるより、その道を究めた方がいいかなと、一瞬思った。しかし、両方やれないこともあるまいと思った。

日本人として(の中身をしっかりとした上で、)日本の伝統や文化を発信したり、翻訳や通訳でなく自分で英語の本や外人から直接いろいろな情報を得られたらすばらしいじゃないかなと思ったから。
 そして、もしかしたら、その面で生計を立てることになるかもしれないから。

③結果としては、ほとんど海外旅行ぐらいしか使わないことになるかもしれないが、高校受験や大学受験があり、合格する上で英語ができることは意味があるから。

英語に限らず、外国語は小さいときから始めた方が身に付きやすいから。(これがある意味で一番大きな理由である。)

 基本的に英語の習得は、情報を発信したり情報を得たりするコミュニケーションの手段としての位置づけであり、それ以下でもそれ以上でもないと、基本的には思っている。だから、英語ができるからといって、人間として尊敬に値するかどうかは全く関係ないとも

 先に藤原氏の考えに賛同すると書いたように、日本人としての中身を充実させることの方が遥かに重要だと考えているし、実際英語の暗唱はまださせていないが、名文の暗唱はどんどん進めている。もっといえば、あたたかい心、強い体と心も、とっても大切だ。藤原氏に言わせれば、武士道精神だろうか。

 藤原氏は、『国家の品格』の中でこうも書いている。
 
「もちろん、英語が出来ることに越したことはない。家庭の教育として英語を教えるのは全然構わない。我が家も一年間英国で暮らして帰国した後、せっかく覚えた英語を忘れないよう、子供たちに週一回、英国人の家庭教師を付けていました。それは家庭の方針としてスイミングスクールに通わせたり、ピアノのレッスンを受けさせたりするのと同じです。課外教育では、各家庭の価値観により何を習わせてもよい。しかし、公立小学校のカリキュラムに英語を入れてはいけないのです。」(前掲書144頁より引用)

 ここで、藤原氏と現実の対応がくしくも一致した。我が家は家庭の教育として英語を教えていくつもりである。先に書いた理由から。

 もちろん、日本人としての中身の充実を優先しながら。そして、英語(外国語)の習得に適した時期を逃さないようにしながら

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monami-k

 こんにちは。とても興味深く拝読しました。

 月曜日の日経新聞夕刊に、
「2006年度から指導要領が改定され、英語の授業が小学校で必修になる」という記事が掲載されており、
国際人養成の1ツールとして英語は必要だけれども、英語力がある=国際人じゃないよね、と感じていました。

 コミュニケーションツールとしての語学力は確かに必要。
でも肝心なのは、そのツールを使って何を考え、何を話すのか、ということだと思います。
海外で英語が流暢に話せても、「茶の湯」「歌舞伎」「浄瑠璃」など、自国の文化を自分の言葉で語れない人は認めてもらえないですから。


今アメリカでは、「勉強したい他国語」の筆頭が、イタリア語やフランス語から中国語」にシフトしているそうですね。
やはり21世紀のビジネスターゲットを「中国」と捉えているからでしょう。
日本でも近い将来、「やっぱり必修は英語じゃなくて中国語だよね」とかいう話になっているのでしょうか・・。

 ファーザーさんのご家庭では、こうしたことがらについて「家族で話し合う」というところが、とても素晴らしいですね。
きちんと自分の意見を持ち、相手に伝える。
まさしくご家庭の中で、「国際人教育」をなさっていると思います。
by monami-k (2006-03-30 21:21) 

miyu

今朝の広告で、大きくこの本の広告が出ていたので、気になってるところでした。(なんかここで読んだ気分になったかも。)
英語は、世界が広がると思うし、将来の選択肢も増えると思うのでさせたいです。公教育については、私も勉強不足なのでなんとも言えませんが、
耳作りという点で、家庭で小さいころからやる意味はあると思ってます。
英語に限らず、まずは親がどういう教育方針で、何を信じてやっていくのかをはっきりさせることが大事かもしれませんね。
by miyu (2006-03-31 02:59) 

みずたま

我が家もファーザー家と似たスタンスです。
実際外国に行くと、正しい発音で英語を使えている外人さんって意外に少ない…。国連の第一線で活躍しているような人でも訛った英語の人、いますよね〜。
それでもぜんぜん臆さず自己主張するし、自分は英語が使えると自信を持っている人がほとんどのような気がします。私たちは日本人なんだから、日本語なまりの英語だって堂々としていればいいとおもいます!
「国家の品格」、中身が少し分かってうれしいです。
私も子供には英語より国語、と思います。娘は公文で英語もしていますが。
(教室で英語がかっこよくみえるようで、本人が強く希望しました)
公文で英語をしていて、これを極めたからと言って実際に使える英語力が
得られるわけではないとも思っています。
ただ、学校で基礎を習う頃にすでに基礎を分かっていれば、さらに踏み込んだレベルへ
自分で開拓していくことはできるかな・・・。国語力がしっかりしていれば、を前提としてですが。それに「したい」という時期が旬といいますし、やる気をみせたときは親の方針と多少異なってもサポートしてあげたい。
 
 一時期は、英語の耳を作る為にも音だけでも聞かせておくのは意味があるかなと
思ってもいましたが、最近はその考えもまた変わりつつあります。
その理由は、重複しますが「完璧な英語じゃなくても第一線で活躍している人はたくさんいる」ということ。まさに、仰るとおり中身が重要ということですよね。
それからヒアリングが多少怪しくても、きちんとした英語力があればまず困らないだろうともおもいます。話の前後を考えれば、少々聞き取りにくい単語が表れても検討はつくし・・・
聞く側も、相手が外人と察すればそれなりに注意深く聞いて理解しようとしてくれるから。


 まずは自国をよく知ることと、国語力をしっかり育てることが大切だというのは本当にその通りだなって思います。日本語を後からマスターしようとおもったら、英語の何倍も大変…。
miyuさんも仰ってますが、家庭で親が揺らがない軸をもつことがとても大事かなとも思います。ファーザーさんのお宅のように、ことあるごとに家族で話しあうというのは
本当にすばらしいです。 そうすればみんなで一貫して進めるから子供も不安に思わないですね。
by みずたま (2006-03-31 18:27) 

ゆうこりん

こちらからもトラックバックさせていただきました。
このファーザーさんの記事にコメントを書いておられる皆さんが、ほぼ私の主張に似たお考えであると知り、なお安堵を覚えました。
またよろしくお願いいたします。
by ゆうこりん (2006-12-15 08:44) 

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