第41号 「ありがとう」の躾(しつけ) [B1 しつけ:あいさつ・感謝他]
2005.7.3(日) 「ありがとう」の躾(しつけ) 第41号
・昨日の夕食時のことである。いつものように長女アキコが箸置きを並べていた。
次女クニコは、みんなと同じ白っぽい箸置きでは満足せず、「これじゃない。」と言っていた。「そんなのどれでもいいだろう。」と内心思うのだが、実母がいろんなタイプの箸置きをしまっている引き出しを引いてやった。クニコは、「あっそれそれ。」といって、お花の模様のついている箸置きを選んでもらった。
妻「『あっそれそれ。』じゃないでしょう。ありがとうは。」
クニコは、黙っている。
私「そうだ。ありがとうだ。」
クニコは、相変わらず言えないでいる。
実母「いいよ。いいよ。」
私「だめらて。言えないうちは、『いただきます』できないよ。」といって、食卓から下ろした。
クニコは、それでも言えないでいる。
かまわずみんな食べ始めていると、おばあちゃん(実母)の所へ行き、
「あーちゃん、ありがとう。」(我が家では、おばあちゃんではなく、あーちゃんと呼んでいる。)と言った。
「ちゃんと『ありがとう』と言うんだよ。」と、私。
そして、ようやく夕食を一緒に食べ始めた。約3分遅れで……。
躾は、このようにねばり強く(かつくり返し)教えて徐々に身に付いていくものなのだろう。
「ありがとう」は、日本語で一番美しい言葉だという。「ありがとう」と言える子に育てたいと思っている。(→家族専科の「育児のビジョンをつくる」http://www016.upp.so-net.ne.jp/kazoku/kazokua3.html)
さて、「ありがとう」と感謝することはとても大事な躾だと思う。
D・カーネギー『道は開ける』に、子連れで再婚した母親のこの面の躾の良くない例が載っていたことを思い出した。
二人の連れ子を大学にいれるために借金までして苦労して働いた父なのに「『大学へ入れてくれるなんて、お父さんは本当に大した人だよ』と言い聞かせないで、『あんなことくらい、何でもないんだよ』というふうをした」という実話である。
これがどういう結果を生んだかは、前掲書14章「こうすれば忘恩に悩むことはない」を読んで欲しい。
D・カーネギーは、「感謝は養われたる特性である。だから子供に感謝の念をいだかせるためには、これを教え込まなくてはならない」と結んでいる。その通りだと思う。
D・カーネギー『道は開ける』は、大学生以来かれこれ30回以上読み返した。訳書で元々の書名は『How to Stop Worrying and Start Living』である。直訳すれば、「悩むことを止め、新しく生活をスタートする方法」となろうか。名著であり、お薦めの一冊である。
家族専科http://www016.upp.so-net.ne.jp/kazoku/へ
※ おかげさまで、総アクセスが8千を超えた。ありがとうございます。(8/25)
実は、夏休みのめあての一つが(~8/31)
「記事100! 総アクセス1万! NICE100!」
である。
「記事100! 総アクセス1万!」は、射程に入った。しかし、「NICE100!」には黄色(赤?)信号がともっている。
私は、どの記事も心を込めて、本当のことを書いている。そして、読んだ人が温かい気持ちになったり、ちょっぴりでも「参考になったな」と思ってもらえたりすることを願って書いている。
幸いコメントには、「参考になりました。」とか「何かあったかい気持ちになりました。」とか書いてあったりして、うれしい。
そんな時、NICEを押してくれたらありがたい。コメントなしでNICEだけというのも、今まで3名あったけど、それでもありがたい。
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